昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-2.明治39年3月・日本橋小舟町・祖父 1906   ・ 


明治39年 日本橋小舟町 斉藤弁之助商店

こちらの写真は、数多い古い写真の中で、年代が判る一番古い写真で、台紙には明治39年3月20日と記載されていました。
伯父の父(私の祖父・以下祖父)は、日本橋小舟町の【斉藤弁之助商店】という、綿糸問屋に勤めており、写真はその【斉藤弁之助商店】の前での記念撮影のようです。

装いから左端が初代店主の斉藤弁之助氏と思われますが、二番目が二代目店主で、その隣がが祖父になります。



台紙表

台紙裏

日本橋小舟町は現在も町名が残っていますが、この頃は江戸時代から続く商店の街と言われ、問屋関係の店が軒を連ね、いわゆる大店(おおだな)と言われる店構えも多くあったようで、現在も江戸時代や明治時代から続くお店も何軒か現存しています。

写真が撮られた頃は、旧町名【堀江町】と言われており、【斎藤弁之助商店】は、明治・大正から昭和初期にかけての記録では、綿糸関係の商い量が国内でもトップクラスだったと言われています。

祖父はその商店で若い頃より【番頭】という立場にあり、商いを取り仕切っていたそうですが、産まれたのは明治16年ですので、この写真が撮影された頃は23歳頃と言う事になります。
写真を見ても判りますように、既に立派な羽織の着物姿ですので、既に若くして番頭さんとしての立場だったのかも知れません。


お店の暖簾には【市】の文字が見えますが、屋号は【山市】とも称したそうで、丁稚さんの姿も見られます。

蔵を兼ねているような家屋の瓦屋根も立派なもので、屋号の【山市】の文字が入っていますし、また左の塀の上には、縦に横にと《忍び返し》も見えます。
現在でこそこうした忍び返しがある家はあまりありませんが、江戸時代から明治・大正は、泥棒よけなのかこういった忍び返しの家屋が多かったようです。


そして下は写真の台紙の裏の印です。
印を見ますと【赤坂機州】という写真館が撮影したようです。
印の中にも手書きで撮影日などが記入されていますが、明治三十九年三月三十日。
斉藤商店撮影と記されているのが判ります。


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