昭和からの贈りもの 第1章 明治35年〜明治末の記録

 1-17.明治時代の一時間写真   ・ 


明治末の1時間写真

明治時代の写真は、写真館で撮影され立派な台紙に貼られているもがほとんどでしたが、プリントされただけの写真がありました。
祖母と時々一緒に写っている女性の3人の写真ですが、顔立ちからしますと、明治末から大正初期と思われます。
台紙がなかったので、写真館のものではないと思い、別にしまっていたのですが、改めて写真を見たところ、左下に文字が型押しされていました。


歌川広重の浮世絵

明治時代の白木屋

関東大震災前の白木屋・絵葉書
《シウセイ》《一時間寫眞》《シロキヤ》という文字が見えますが、《シウセイ》とは写真を修正するという事でしょうか?
今であればコンピューターで簡単に修正できますが、明治時代からこうした修正があったのでしょうか?
《一時間写真》ということは、一時間で出来る写真という事と思われますが、この時代に1時間で出来る写真があったとは驚きです。
現在で言うならスピード写真と同じようなものとも言えるでしょう。

因みに【昭和8年・萬国婦人子供博覧会 5 絵葉書】には、【高速度自動写真撮影】が写っていますが、こちらは現在のスピード写真に近いものと思われますが、いずれにしても100年近い昔にこうした一時間写真があったという事ですね。

そして《シロキヤ》というのは、白木屋百貨店の事でしょうか?

白木屋とは、かつて日本橋にあった百貨店で、歴史は三越よりも古く、江戸初期の寛文2年(1662)に小さな小間物屋としてはじまったのが創業とされています。

その後呉服店となり、次第に商いを広げ、大店から大呉服店へと大きくなります。

幕末の歌川広重の浮世絵にも、白木屋が登場しますが、江戸時代には越後屋、大丸と並んで江戸三大呉服店と言われるようになります。

明治36年に日本橋に洋風3階建ての新館を新築し、更に明治44年には一部5階建てに増築しますが、この時呉服店としては初のエレベーターや回転ドアなどを取り入れます。

左がその頃の白木屋の絵葉書ですが、この《一時間写真》が明治末に撮影されたとしますと、この増築された頃かも知れません。
白木屋が百貨店として営業をするのは大正時代に入ってからですので、この時代は呉服店にて着物を選んだり購入する際の記念にと《一時間写真》を始めたのかもしれませんし、ある意味のサービスだったのかも知れません。

祖母は明治27年生まれですので、写真の頃は18歳という事になります。
若い友人達とおしゃれをして、新しくなった白木屋に行き、その時記念に撮影したのかもしれませんね。

大正時代中頃には、ルネッサンス様式の建物に増改築し呉服店以外に百貨店業務を始めますが、関東大震災によって焼失します。
左は焼失する前の白木屋です。

その後昭和3年には震災復興事業の中、東洋一の規模のデパートとして再開しますが、昭和7年には日本で初めての高層ビル火災が起こります。(昭和7年の出来事 1932 参照)

昭和42年には東急百貨店と屋号を変えますが、平成11年(1999)に営業不振などから336年の歴史に幕を閉じ閉店します。



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