3-5.昭和4年・トーゴーカメラ時代   ・ 


昭和4年の根岸尋常小学校

写真が入っていた油紙
伯父の写真は、油紙のような袋に入ったものが多いのですが、上の根岸小学校の写真も油紙に入っており、【昭和四年頃ノトーゴーカメラ時代】と書かれていました。

『おもちゃのようなカメラ』と言うように、確かに他の写真と違って輪郭がはっきりしていないのが判ります。
伯父が最初に自分のカメラとして手にしたのは、昭和4年の小学校5年生当時の【トーゴーカメラ】というカメラです。

【トーゴーカメラ】とは、東郷堂カメラという会社が昭和初期に製造していた比較的安価なカメラで、伯父曰く、

「小さな箱に穴が開いただけのようなカメラだったよ・・・」
「フィルムをセットしたら、シャッター代わりに、レンズ穴の蓋を開け、「1,2,3」と数えて、また蓋をして撮影したよ!」

との事でしたが、この箱型カメラにはカメラ本体に簡単な穴が開いており、ここにレンズがあり、レンズ穴をある程度開けることで撮影するカメラです。

当時はカメラと一緒に現像セットも一緒に売られ、押入れで簡単に現像もでき、価格も1円と比較的手に入り易かった事から、子供たち中心にかなり人気のカメラだったようです。
因みにこのこの頃の子供たちに一番人気の少年雑誌【少年倶楽部】が50銭でしたので、雑誌2か月分の価格となります。

また同じようなカメラも沢山販売され、同じように1円程度で買える事から、通称《円カメ》と称され、巷は《円カメブーム》となっていたようです。

その《おもちゃのようなトーゴーカメラ》で撮影されたのがこちらです。

当時伯父たち兄弟が揃って通っていた根岸尋常小学校(現台東区立根岸小学校)の校庭です。
いかにも昭和といった木造校舎の前の校庭でポツンと佇んでいるのは弟だそうですが、伯父達兄弟は、皆根岸幼稚園に入園し、そしてこの根岸尋常小学校に入学して卒業していったそうです。
尚、この根岸小学校の卒業時の写真は、【昭和6年・根岸小学校】をご覧下さい。


現在の根岸小学校/平成19年
かつては木の温もりのある校舎でしたが、現在の校舎は、右の写真のように、綺麗な鉄筋の校舎に建て替えられました。

因みに写真にも写っているように、現在の校舎右側壁面には大きな松が描かれています。

これは江戸時代から銘木として親しまれてきた【御行の松】を描いたもので、この根岸小学校発祥の地である西蔵寺にあったそうです。

樋口一葉の小説や正岡子規の俳句にも出てくる立派な松で、大正15年には天然記念物にも指定されましたが、残念ながら昭和3年に枯死し伐採されました。

その後校舎改築の際、小学校ゆかりの松として壁のモニュメントとして描かれました。


西蔵院不動尊境内残る初代御行の松の一部
【御行の松】は高さが13.6mもあり、笠を被ったような姿は遠くからでも目立つ存在だったようで、江戸時代の江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれている程の銘木でした。

当時この松の根元には、石神井川の支流である音無川が流れ、そのまま山谷掘りから隅田川へと流れていました。
関東大震災の際にはこの近くまで火災が発生したものの、この音無川の水を木に浴びせ、何とか焼失からは免れましたが、その後、震災復興の影響で音無川は暗渠となり埋め立てられました。

こうして音無川が暗渠となって数年後には御行の松も枯れてしまい、昭和3年2月に伐採されてしまいますが、これはさまざまな天災や、一部水を絶たれた為の影響があったとも思われます。

さてこの【御行の松】の枯れた幹の一部が、現在も根岸小学校近くの西蔵院不動尊にあります。
そして、隣には3代目【御行の松】が育っていました。



トーゴーカメラで撮影した知人・言問通り

ドイツ製ボックスカメラ

こちらの写真も同じくトーゴーカメラで撮った知人です。
場所は自宅から近い言問通りで、多少ぼやけてはいますが、通りには自転車らしき乗り物も何台か写っているように見えます。

ネクタイをしていますが、足元は雪駄のようです。
しかも履き方が、鼻緒を足指の先ではさむ、いわゆる現在では粋と言われる履き方のようです。

更に左側の樹と塀は、伯父の写真でも度々登場している【浄名院】の樹と塀のようです。

「露出時間が一定ではなかったし、シャッターの時間も自分で蓋を開け閉めするだけようなシャッターだったので、ウマく撮れたかどうか、けっこう当たり外れがあったなぁ・・・」

「押入れで現像するまで、ちゃんと撮れているかどうか分からず、それはそれなりに面白かったが・・・」

「まあ、おもちゃのようなもんだったからしょうがなかったよ・・・でもこのカメラがきっかけで、親父に新しいカメラをねだったりしていたなぁ・・・」

と伯父は思い出していましたが、おもちゃのようなカメラにしては、前頁の写真等は校舎の陰影もはっきりとして、ちゃんと撮れているように見えますし、小学五年でこうしたカメラを扱えることが、ちょっと驚きです。

またこのカメラが販売されていた場所も、カメラ屋さんというよりも玩具店や本屋さん等で発売されていたそうで、カメラという名のおもちゃのような存在だったようです・・・としましても、このカメラが伯父のカメラ熱の原点であった事は間違いありません。

トーゴーカメラで撮影した写真は、よく見ますと輪郭が綺麗ではないようですので、探しやすい思ったのですが、残念ながら写真はこの2枚のみのようでした。

昭和7年発行の【少年倶楽部】という雑誌にもカメラの広告が掲載されています。

カメラ本体、現像液、印画紙等一切がセットになった《キングカメラ》というカメラですが、確かに
《付属品一切付 定価一円》と記載されています。

因みに同時掲載の、他のスヰートカメラという商品は、ケース付きで十円ですから、《円カメ》が安く手に入り人気が出たことも頷けます。

左のカメラはトーゴーカメラとは違いますが、ドイツ製の【HANiMEX】といういわゆるボックスカメラです。

これを更に簡単にしたのが、【トーゴーカメラ】ですが、このカメラも何とも言えないアールデコ調な感じです


因みに東郷堂カメラという名は、実際に東郷元帥に直接交渉をし、その名の許可を得てその名を冠したものです。


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