昭和13年の出来事 1938  ←昭和12年昭和14年→
【1月】
1 東京市バスに木炭自動車が初登場します。
ガソリンに代わる燃料として登場し、4月には九州鉄道、7月には東京の青バスで採用するなど順次全国で導入され、その後しばらく運行されることになりますが、馬力が無い為、坂道で人が後ろを押すなどと言った光景はよくあったようです。
右は宮城野(皇居)へ向かう当時の木炭バスですが、後部にあるのが焼却炉で、木炭の不完全燃焼によって発生するガスを燃料としました。
(写真13-01)
また現在の神奈川中央交通では、創立60周年を記念して、昭和56年に木炭バスを復元しています。
右がその木炭バスですが、当時の工法や工程などをそのままに、廃車などを利用して復元されたものです。
(写真13-02)
【三太号】と名付けられたこの木炭バスは、現在は神奈川中央交通の車庫で保管されているようです。
●関連 ↓7/16
1 新潟県十日町の映画館【旬街座】の屋根に積もった1m半の積雪に耐えられなくなり、屋根が崩落して74名の死者と100余名の重軽傷を出す惨事となります。
お正月という事で、近隣の織物工場の男女工など700余名で満員すし詰め状態の中の事故で、場内は大混乱となりました。
3 新劇女優の岡田嘉子が、演出家であり共産党員の杉本良吉と樺太国境を超えてソ連へ亡命し、《恋の逃避行》《赤い恋》等と報じられます。
(写真13-03)
この2年前にお互いが知り合い、左翼運動への弾圧が強まる中で、岡田嘉子が亡命を提案し、「国境警備兵を慰問したい」として樺太に行き、そこでお互いに国境線を超えてソ連に保護されます。
が、ソ連側でもスターリンによる粛清が行われている時期でもあり、二人はスパイの容疑をかけられ、密入国で逮捕されます。
翌年には二人は軍事法廷にかけられ、杉本良吉は銃殺刑に処され、岡田嘉子は自由剥奪10年の刑となり昭和22年に釈放されその後日本に里帰りする事になります。
3 警視庁衛生部は【衛生新撰組】を組織し、銃後市民の健康を守るため、東京市内の飲食店を巡回し、衛生検査をすると発表します。
(写真13-04)
9 警視庁はパーマネントは我が国の醇風美俗に反するとして、業者の新設、移転などを禁止する旨通告します。
9 寅年の初の寅の日となったこの日、寅年の男女が明治神宮で武運長久を祈願し、銀座のタイガー喫茶店で虎屋の羊羹を食べるという事が行われました。
10 海軍陸戦隊は青島を占領します。
11 大本営・政府首脳による御前会議にて《支那事変処理根本方針》が決定されます。
11 新たに厚生省が新設され、大臣の親任式が行われます。
《徴兵時の健康状態が悪い》事などから陸軍の意向を受け、13番目の省として設けられました。
13 柳家金語楼や横山エンタツら漫才、落語の前線慰問団の【皇軍慰問演芸班】の第一陣が東京駅を出発します。
新聞では日本の航空隊を【空の荒鷲】と称していた事から、【わらわし隊】と言われますが、この後も継続してわらわし隊が送られます。
これは吉本興業と朝日新聞社の共同によるもので、東京日日と大阪毎日新聞社も歌手を中心とした【皇軍慰問芸術団】を結成し3月には上海に向け出発します。
こうした新聞各社の慰問団派遣は、戦争報道を通して新聞の販売競争の為でもありました。
●関連↓3/15・8/23・9/11・9/14・9/27・11/14
13 政府は電力国家管理法案を発表します。
14 この年から純日本馬の保存が開始され、2頭生存していた【隠岐馬】を天然記念物に指定と報じられます。
が、残念ながら隠岐馬はその後絶滅します。
15 全日本舞踏場連盟の発足会が行われ、国策に沿ったダンスホールの営業方針が発表されます。
不良分子の入場を断つため、ホール入り口にドアガールを置き、婦人の単独入場及び同伴者の身元を訊ねる関所を設ける。
独身ダンサーの間借を禁じて寄宿制にする。
昼間の営業を廃止し、大和撫子修養と婦徳涵養に資する為、昼はホールや寄宿舎で裁縫、料理、生花等を教授し、行く行くは御茶ノ水家庭寮にも優る花嫁学校式まで向上させる。
16 東京で【女中さん大会】が開かれます。
家庭組合婦人会が主催し800人余が参加します。
16 近衛内閣は《事後国民政府を相手とせず》という対中国重大声明を発表します。
これによって中華大使に帰国命令を発し、国民政府も駐日大使の帰国を発し、両国の外交は断絶します。《近衛声明》
因みにこの時の【○○を相手とせず】は流行となります。
16 閣議で《物資動員計画》が決定されます。
石炭や製油など国が定めた96品目に関して、軍需優先に配分する年間計画で、次第に代用品時代をもたらす事になります。

●関連 ↓7/19・8/5・9/15
17 《軍需工業動員法》が発動します。
これによって150の工場が政府管理となります。
この法案は大正7年に制定されたものの、休眠状態の法案でした。
25 この日の大相撲春場所で、新横綱の双葉山が全勝優勝し、前人未到の4場所連続全勝優勝を記録します。
先場所の優勝で横綱に昇進したばかりでしたが、この千秋楽も横綱玉錦相手に11回の仕切り直しをした後、左上手投げで玉錦を下し、3階4階からは座布団の雨が降り、場内は熱狂の渦に巻き込まれます。
(写真13-05)
因みに当時は現在の15日興行ではなく13日興行でした。
この春場所も連日の満員で、新聞でも《破れ返る様な大入り》とされ、翌年にはあまりの双葉山人気で入場できない観客が増えすぎたことから、15日制になります。
●関連 ↓5/11・5/23
28 日本婦人団体連盟が主催し、《白米食廃止懇談会》が開かれます。
非常時の下での国民栄養食と体力向上を目指し、国民精神総動員関係者、東京府、市の関係者が参加し、以後全国に広がります。
●関連↓3/1・8/13・8/26・9/1
30 政府は支那事件臨時軍備財源調達の一環として、煙草の一部値上げを議会で了承し翌31日には即時実施されます。
但しバットなど大衆向けは据え置き、高級煙草や中級煙草を1割以上値上げする事とし、これによって一千万円の増収が予想されます。
敷島22銭、朝日18銭、チェリー15銭
(写真13-06)
この月全国の女学校で生徒の断髪禁止が言い渡されます。
この年の年賀状が激減します。
前年は6億3000万通でしたが、この年は1億5000万通でした。
この頃のブロマイドの売れ行きは、男優は上原謙、女性は高杉早苗がトップで林長次郎はトップの座を明け渡します。
(表13-1)
禁煙に関しては今も昔も苦労をしたようで、この頃の新聞広告にも【タバコをヤメル】と禁煙を謳ったものがあります。
タバコをヤメルのに確実に成功する独特の薬がある。百害ありて一利なきタバコをヤメ、ニコチン中毒を解消して心身の健康を計り、冗費を防止し国家のため、国防献金その他有意義に使用してください。ハガキで申し込み次第確実に成功できる薬を無料でおしらせします。
(写真13-07)
前年昭和12年に【普賢】で第4回芥川賞を受賞した石川淳が、文学界一月号に【マルスの歌】を発表したところ、反戦思想を理由に発禁処分となります。


13-01.当時の木炭車/ウィキペディア

13-02.復元された木炭車/神奈川中央交通所蔵

13-03.亡命を報じる記事/東京日日新聞

13-04.衛生新撰組を報じる記事/東京日日新聞

13-05.横綱玉錦を左上手投げにした双葉山/アサヒグラフ

13-06.煙草一部値上げを報じる記事
/中外商業新聞
昭和13年1月のブロマイド売れ行き
男性 女性
1 上原謙 高杉早苗
2 佐野周二 高峰三枝子
3 坂東好太郎 桑野通子
4 高田浩吉 轟夕起喜子
5 坂東妻三郎 田中絹代
6 片岡千恵蔵 入江たか子
7 大友柳太郎 山田五十鈴
8 市川右太衛門 原節子
9 大河内伝次郎 霧立のぼる

13-07.タバコをヤメル新聞広告
【2月】
1 前年12月に引き続き、帝大教授の大内兵衛、同助教授有沢広巳ら官私大教授グループと労農派グループ38人が、治安維持法による左翼運動弾圧によって一斉検挙されます。《第二次人民戦線事件》
(写真13-08)
行政による自由主義思想の弾圧は益々強くなり、司法省も《いまや民主主義自由主義の思想は共産主義発生の温床となる危険性が多分にある》と発表します。
1 前年の東京に引き続き、大阪でも公衆浴場の朝風呂が禁止となります。
これに一番影響を受けたのが朝湯を常としている娼妓や芸妓さんたち女性たちでした。
3 東京帝大セツルメントが文部省や内務省の強硬論によって(解散)閉鎖されます。
(写真13-09)
帝大セツルメントは元々関東大震災の折に、被災民救護活動として被災者や労働者の為の教育を行う為に設立されますが、その後社会主義思想が強くなり、前年には労働者に対して左翼思想浸潤をさせたという事で、帝大生20名が検挙され、更に1日の大内教授らが検挙された事を受けての解散となりました。
2 銃後を護る健全な体位の向上と健全な集団運動を目指し、4月からの日曜日に東京で40万人を動員した、市民体操会を実施すると発表します。
対象は男女青年団、学校生徒、防護団、愛国・国防婦人会、一般サラリーマンで、東京市内の小学校、公園、神社やお寺など1000会場で、ラジオ体操や建国体操、相撲体操など30分です。
5 ドイツのヒトラー総統が、国防相らを解任し今までの国防軍の体制を改造し、今後は全国防軍の命令系統をヒトラー自身が行い総師権を掌握します。
(写真13-10)
7 岩波文庫のマルクス主義関係など社会科学関係書28点が、内務省によって自発的休刊を強要されます。
8 この日の新聞に、政府による尾瀬ヶ原発電計画が掲載されます。
●関連↓2/19
9 チャップリンの【モダンタイムス】が封切られ人気と人気となります。
11 外務省は北平(ペイピン)の呼称を北京(ペキン)に変更すると決定します。
15 警視庁は東京市内の銀座、新宿、浅草、などの盛り場でサボ学生狩りを実施し、3日間で3486人を検挙します。
改悛誓約書を提出し、宮城(皇居)遥拝ののち釈放されます。

(写真13-11)
また長髪の学生は《散髪誓約書》を書かされ、「戦地の兵隊さんのご苦労を考え自粛いたします」と唱和させられます。《学生狩り》
●関連↓6/17・6/21・6/22
16 内閣情報部が国策グラフ誌【写真週報】を創刊します。
国民精神総動員実施要綱に沿って、国民に戦時の生活を写真で報道する雑誌で、終戦直前の昭和20年7月まで刊行されます。
16 この日、日中戦争で70発以上の被弾をしながらも帰還した渡洋爆撃機が芝浦埠頭に凱旋します。
この後原宿の海軍館に運ばれ機体の整備がなされた後一般公開されます。
18
石川達三著の【生きてる兵隊】掲載により、【中央公論】が発禁となります。
石川達三は従軍作家として南京攻略に派遣され、見たとおりを書いただけでしたが、内容に戦争の残虐さが描写されているという事からです。
19 政府が発表した尾瀬ヶ原発電計画に対し、尾瀬の貯水池化は殆ど不可能で、国宝的風致破壊は乱暴だとする理学博士武田久吉氏の解説が掲載されます。
(写真13-12)
21 東京〜奉天間に日本初の国際電話となる直通優先電話が開通します。
因みにこの頃の3分間の電話料金は以下の通りでした。
東京〜大阪 1円25銭
東京〜上海 15円
東京〜英国 80円
22 警視庁は【紙芝居検閲制度】を決定します。
児童や子供たちへの間接的規制と言えますが、特に残忍なものや猟奇的なものがチェックされ4月1日から実施されます。
27 後楽園にて第一回全日本選抜スキージャンプ大会が開催されます。
宝塚少女歌劇ではスター以外のパーマネントを禁止します。
また男役スター以外のシングルカットも禁止されます。
前年発売された淡屋のり子が歌う【別れのブルース】が爆発的なヒットとなります。


13-08.人民戦線第二次検挙を報じる記事/東京日日新聞

13-09.帝大セツルメント閉鎖の記事/東京朝日新聞

13-10.ヒトラー総統号令統帥を伝える記事/東京朝日新聞

13-11.学生狩りを報じる記事/東京朝日新聞

13-12.尾瀬ヶ原問題を報じる記事/東京日日新聞
【3月】
1 商工省は《綿糸配給統制規制》を公布施行します。
綿糸配給に切符制度を採用したもので、最初の切符制です。
(写真13‐14)
●関連↓5/22・6/28・7/29
1 京都市内のタクシーでメーター制が採用されます。
10月には大阪で採用し、11月には全国で実施されます。
1 日本婦人団体連盟主催の《時局婦人大会》が開かれます。
買いだめ自戒、白米食廃止、生活合理化促進などを申し合わせ、皇軍に対する感謝を決議します。

●関連↑1/28 ↓8/13・8/26・9/1
3
この日行われた衆議院の国家総動員法案委員会の最中に、法案の説明員として出席していた陸軍省佐藤中佐が、委員に対して「黙れ」と叱責した事で、議会は大紛糾となり散会となります。
翌日には杉山陸相が陳謝しますが、この件は《黙れ事件》と言われる事になります。
(写真13-15)
●関連↓3/17
6 豊田正子原作の【綴方教室】が新築地劇場によって初演となります。
前年8月に中央公論から発表されベストセラーとなった劇場版ですが、8月には映画も封切られます。
●関連←12年8/3 ↓8/21
7 この日《揮発油及び重油販売取締規則》が公布施行されます。
これによって購入引換券=【ガソリン券】が無くては重油やガソリンが購入できなくなるというもので、実際のガソリン券の利用は5/1からになります。(写真13-16)

13-16.新しく導入されるガソリン券
●関連↓4/30・5/1・7/25・13年
10 皇紀2600年を記念し、昭和15年3月に開催予定の万国博覧会の前売り券が全国の郵便局や銀行などで発売されます。
1等2000円の抽選券付きの10円回数券なども売られますが、この年7月15日には時局の悪化の為、開催延期が決定され結果幻の万国博となります。

●関連↓5/4・7/15
11 前年9月に台風のため香港港外で座礁した浅間丸が離礁に成功します。
船体を軽くする為主要機関を外し、船底の岩礁を爆破するなどしてようやくの離礁でした。
13 ドイツはオーストリアを併合を宣言します。
オーストリア首相が親独派のインクヴァルトに任命された事で、ヒトラーはウィーンに進軍し、オーストリアはドイツの1州となります。

(写真13-17)
●関連↓4/10
15 わらわし隊に引き続き、渡辺はま子、松原操、勝太郎ら歌手を中心とした【皇軍慰問芸術団】が東京駅を出発し、上海に慰問に向かいます。
●関連↑1/13 ↓8/23・9/11・9/14・9/27・11/14
16 衆議院で《国家総動員法案》が可決されます。
24日には貴族院でも可決され、4月1日に公布され、5月5日施行されます。
●関連↑3/4 ↓4/1
17 名古屋市で全国に先駆けて【英霊バス】が走ります。
以降全国に広がります。
17 日本カヌー協会が設立されます。
17 豊田四郎監督の【泣虫小僧】が封切られます。
19 時局を鑑み、お花見の仮装禁止と女給の御揃い衣装もご法度と報じられます。
20 前年《死なう団事件》を起こした死なう団盟主・江川桜堂が死去したことで、団員4人が殉死します。
26 電力国家統制法案が可決されます。
それまでは全国で470社もの電気事業社がありましたが、これらを国が管理するという法案で、民間の大反対があったものの、軍部の圧力によって成立します。
後に日本配送電株式社が設立され、日本を北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・九州の9ブロックに分けて国が統制する電力国家統制となりますが、これが現在の電力会社の元となります。
(写真13-18)
29 メーデー全面的禁止が決定します。
これによってメーデーが再び行われるのは戦後になってからとなります。
29 戦艦武蔵が長崎三菱造船所にて起工します。
(竣工17年8月5日)
30 航空機製造事業法、工作機械製造事業法が公布されます。
31 東京駅構内の人力車が廃業となります。
最盛期は200台の人力車が駅に並んでいましたが、最後は15台でした。
明治初期に登場して以来、交通手段として明治中ごろには20万台の人力車が走っていましたが、市電や汽車、そして自動車の登場によって数は減る一方でした。
戦後に一時期再登場はしたもののすぐに姿を消し、今は交通手段としてではなく、観光用としての人力車が走っています。
右は上野の下町風俗資料館で展示されている古い人力車です。
(写真13-19)
内務省警保局は雑誌社に対し、戸坂潤、林要、岡邦雄、中野重治、堀真琴、鈴木安蔵の原稿掲載を見合わせるよう内示します。
この頃びっくり箱が大流行します。(1個10〜50銭)


13-14.綿糸配給統制規制を報じる記事/東京日日新聞


13-15.黙れ事件を報じる記事/東京朝日新聞


13-17.独軍のオーストリア侵攻を報じる/東京朝日新聞


13-18.国家総動員法成立を報じる記事/大阪朝日新聞


13-19.古い人力車/上野風俗資料館
【4月】
1 《国家総動員法》が公布されます。(5月5日施行)
この法案は、簡単に言うと、戦争になれば、国民の権利や自由、財産を国が制限でき、戦争に必要となれば、軍事関係以外にも食糧や物資をはじめ教育までも一切を国が総動員できるという法律です。
いわゆる白紙委任状のようなものですが、これによって、ますます軍事国家へと進む事になります。
●関連↑3/4・3/16
1 《支那事変特別税》及び《臨時租税措置法》が1日前の3/31に公布され、この日に断行されます。
増大する軍事費を補う為の3億円の増税で、国民一人当たりの増税は2年前から比べ12円の増加となります。
また入場税も新設され、劇場などでは1割が課税されます。
この月はさまざまな法令が新たに公布されますが、下が4月だけで公布されたものです。
国民総動員法 4/1公布 5/5施行
国民健康保険法 4/1公布 7/1施行
社会事業法 4/1公布 7/1施行
陸上交通事業調整法 4/2公布 8/1施行
農地調整法 4/2公布 8/1施行
農地保険法 4/2公布 14年4/1施行
灯火管制規則法 4/4公布
電力国家管理法 4/6公布 8/1施行
日本発送電会社法 4/6公布 8/1施行
国民貯蓄奨励局管制 4/19公布 即日施行
物価委員会令 4/22公布
北支那開発・中支振興会社法 4/30公布 4/30施行
1 燃料不足を補う為、天然ガスの自動車とガススタンドも登場します。
この当時、既にロンドン、ベルリン、パリ、ウィンでは天然ガスの自動車が走っており、その技術を取り入れる事になりました。
(写真13-20)
1 日本初のはっか入りタバコ【さかえ】が発売されます。
20本入りで16銭でしたが、ハッカは医薬品の原料だった事から入手困難となり、昭和15年9月15日には生産中止となります。
3 小石川後楽園が開園します。(入園料5銭)
元々は江戸時代初期の寛永6年に、水戸家の江戸中屋敷の庭園として造られ、2代目の光圀の代に完成したものです。
6 《電力管理法》及び《日本発送電株式会社法》が公布されます。
これによって電力が国家の管理下におかれます。
8 第一次満蒙開拓青少年義勇軍の壮行会が挙行され、翌月には満州の地を踏みます。
16歳から19歳の少年らで構成され、昭和20年まで9万人が出発します。
●関連↓5/5・5/9・8/10
9 東京高島屋で【画劇(紙芝居)コンクール】が開催されます。
10 燈火管制規則が実施されます。
空襲警報の場合はサイレンが6秒10回、警鐘は1点と4点連打に統一されます。
10 ドイツでオーストリア合併に対する国民投票が行われ、全土で殆ど100%の賛成投票となります。
(写真13‐21)

●関連↑3/13
13 軍艦マーチや愛国行進曲の作曲者・瀬戸口藤吉海軍軍楽隊楽長に軍事功労賞が贈られます
特に愛国行進曲は、前年に内閣情報部が【国体の尊厳】を国民に示し、士気を昂揚する事を目的として募集された国民歌で、この年の初めには学校や家庭、街頭や喫茶店などいたるところでメロディーが流れました。
●関連 ←’12/9/25・11/2・12/19 
13 この日の新聞に、映画【オーケストラの少女】が8週間連続上映で、総入場客百数十万人、売り上げ80万という大記録となったと報じられます。
映画館の前にはとぐろを巻くような行列が出来、中には一人で20回もみたり、開館から閉館まで1日中見ていたという人も続出する程の人気となります。
(写真13-22)
13 東京府の国民精神総動員実行部は、新興漫画家10人を集め、2月に発表された《家庭報告三綱領・実践14項目》の漫画化の打ち合わせをします。
こうして作られるようになるのが【6-30.昭和15年・一億一心】に記載している国策漫画などです。
(写真13-23)
14 大蔵省では、補助貨幣として製造予定の硬貨のデザインを発表します。
アルミニュームと銅だけで出来た十銭と五銭硬貨。
及び銅と亜鉛で出来た一銭硬貨で、9331点の応募がありました。
これらの硬貨は7月頃には街中に登場する事になります。
15 三菱財閥の岩崎久弥が東京市に駒込の六義園の寄付を申し出ます。
六義園は五代将軍徳川綱吉の側用人、柳沢吉保が1695(元禄8年)に加賀藩の下屋敷を綱吉公から拝領し、自身の下屋敷として造営した庭園です。
後の明治初年に岩崎久弥が購入し、その整備をしたもので、関東大震災の被害もなく、また東京大空襲の影響もない当時の状態を現在も保持しています。

●関連↓10/16
また清澄庭園も、元は江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門の下屋敷だったものを、明治時代に岩崎久弥が購入し、のちに東京市に寄付したものです。
19 閣議で年間80億円の国民貯蓄運動が決定します。
以降、債権や貯蓄が奨励され、債権広告や貯蓄ポスターなどが多くなります。
(写真13‐24)
20 ドイツでオリンピックの記録映画【オリンピア】が公開されます。
40台ものカメラを用い、飛行機や気球も使っての撮影で、【民族の祭典】と【美の祭典】の2部構成からなります。
22 この頃の東京の物価は前年比で2倍と報じられます。
24 元祇園の芸奴で米国の富豪夫人のモルガンお雪がこの33年ぶりに帰国します。
25 《銑鉄鋳物制限令》が発せられ、文鎮、灰皿、花器、貯金箱、額縁、電気スタンド、看板、椅子、欄干、棚、交通標識など47品目の製造が禁止されます。
25 全国84の百貨店を統括する日本百貨店組合では、廉価販売の自粛と、過度のサービスの禁止、及び催し物自粛を決定します。
25 東京オリンピックのポスター図案が発表されます。
●関連↓3/10・4/25・5/4・7/15
29 東海道本線名古屋〜枇杷島間で、軍用列車見送りの人たちが線路に入り、貨物列車に轢かれて40人が死傷します。
29 東京新橋に全室冷暖房完備の最新式ホテル【第一ホテル】が開業します。
客室626室は東洋一で、当時のホテルと言えば上流階級向けの豪華な造りがほとんどの中、宿泊料金もシングルが2円80銭と控えめで、庶民でも宿泊しやすい、いわゆる日本初のビジネスホテルです。
これは阪急社長小林一三氏のサラリーマン出張用ホテル構想によるものでした。
30 翌日のガソリン切符実施前に、ガソリンスタンドに駆け込むタクシーやオートバイが相次ぎ、ガソリンスタンドでは売り切れが続出し、街中でエンコした円タクの姿がみられます。
また銀座などの繁華街ではガソリン節約の為流しのタクシーが消え、運賃も通常の倍となったりします。
●関連 ↑3/7 ↓5/1・7/25・この年
この頃警視庁は管轄下300軒の肉屋を一斉点検します。
その結果牛肉に馬肉や兎肉を混ぜたり、ひき肉に犬の肉を刻み込むなどの不正を多数発見します。


13-20.ガス自動車を報じる記事/東京朝日新聞

13-21.ドイツの国民投票を報じる記事/東京日日新聞

13-22.大ヒットのオーケストラの少女の記事/東京朝日新聞


13-23.隣組の漫画/6-30.昭和15年・一億一心


13-24.当時の債権のポスター/日本百年の記録
【5月】
1 商工省は《揮発油・重油販売取締規則》を施行し、ガソリンの配給切符制が実施されます。
これにより東京のバス会社は一斉に台数を減らし、円タクも三分の一が減少します。
また流しのタクシーもいなくなり、代わって人力車が一躍人気となります。
(写真13‐24)
●関連 ↑3/7・4/30 ↓7/25・この年
1 《喀痰取締規則》が施行され、路上での唾吐きが処分される事になります。
1 前年東宝移籍のトラブルから顔を切られた長谷川一夫の再起第1作【藤十郎の恋】が封切られ、大ヒットとなります。
4 柔道の嘉納治五郎氏がカイロIOCからの帰途、氷川丸の船中にて死去します。
日本選手がオリンピックに参加できるよう大日本体育協会(JOCの前身)を発足させ、昭和15年の東京オリンピック招致にも奔走し、《日本オリンピックの父》とも称されます。
が、オリンピックはこの2ヵ月後に開催返上が決定し幻のオリンピックとなりました。
●関連↑3/10・4/25 ↓7/15
5 4月に出発した満蒙開拓青少年義勇軍5000人が満州入します。
この後沙蘭鎮寧訓練所の掘立小屋に住み、一人10haの開墾と自給自足の生活を行います。
●関連↑4/8・↓5/9・8/10
9 満州移住教育協会は、全国から2400人の大陸の花嫁を募集します。
その後8月には政府が中心となって花嫁募集を開始します。
●関連↑4/8・5/5 ↓8/10
10 東京市内のプールでの男女混浴禁止と報道されます。
11 翌日の大相撲夏場所を前に、初日のみ50銭均一ということもあって、朝から入場客が詰め掛け、初日前日の夜10時に開場されます。
●関連↑1/25 ↓5/23
14 東京市の町会規約に初めて【隣組】が登場します。
隣組は隣接する5〜20世帯で構成され、昭和14年10月には10万を超える隣組が編成されます。

写真は大阪で行われた隣組のラジオ体操です。
(写真13-26)
この後昭和15年には、【隣組】は新体制運動の一環として【翼賛体制】の最下部組織に組み込まれ、銃後を守る国民生活の基盤ともなり、歌も作られます。
回覧板も、この【隣組】の連絡用としてこの頃から登場します。
更に防空演習なども隣組単位で行われるようになります。
15 東京帝大航空研究所の航研機が、航続距離及び滞空時間の世界記録を樹立します。
記録は11651キロ、62時間23分でした。
またこの時の平均時速の187キロも世界新記録でした。
(写真13-27)
17 34回戦闘に参加し、5回負傷の西住小次郎戦車隊小隊長が徐州南方にて戦闘中に銃弾を浴び戦死します。
12月17日陸軍報道部は支那事変最初の軍神と称揚し、映画【西住戦車長伝】も製作されます。
19 NHKで【前線放送】が始まります。
アナウンサーが中国・徐州方面の戦闘模様を済南から放送しました。
20 九州の熊本宮崎両県に国籍不明の飛行機が飛来し、反戦ビラを撒きます。
後に中国機と判明します。
21 岡山県西加茂村で、22歳の青年が鉢巻に懐中電灯を2本を立てた姿で、祖母を日本刀で殺害した後、村内11軒を次々と襲撃し、日本刀や猟銃で30名を殺害し3名に重軽傷を負わせると言う事件が起こります。
犯人の都井睦雄は、犯行後に近くの山に行き、猟銃で自殺しますが、今日まで日本犯罪史上前代未聞の殺戮事件となります。《津山事件》
小説や映画の【八つ墓村】は、この事件をモチーフにして書かれたと言われます。
22 この日から綿糸公定価格制が実施されます。
●関連 ↑3/1 ↓6/28・7/29
23 相撲の横綱双葉山が、夏場所千秋楽で横綱玉錦を破り、5場所連続で全勝優勝し、66連勝と記録を伸ばします。
双葉山人気はますます高まり、雑誌の表紙も飾ります。
(写真13-28)
この頃の相撲は現在の15日興行ではなく、大正時代から昭和11年までは11日興行でした。
昭和12年から春場所と夏場所の年2場所で13日興行となりましたがそれでも連日超満員の大入りが続きます。
双葉山人気は物凄い反面力士たちは打倒双葉山を掲げる事になりました。
因みに前人未到の69連勝をし、連勝記録がストップしたのが翌年の春場所です。
●関連 ↑1/25・5/11
23 丸の内昭和ビルの第一無尽に天狗面のギャングが襲い、300円余を略奪する事件が起きます。
29 小学校での柔道、剣道が正課となります。
30 20日に続き、九州に中国機が襲来し、九州や山口に空襲警報が出されます。
31 桜ヶ丘研究所(現エーザイ)が、わが国初の天然ビタミンE剤【ユベラ】を発売します。
不妊症や流産しやすい人に効果がある【子宝ビタミン】とし、《産めや殖やせよ》の時流もあってヒット商品となります。
(150粒入り3円50銭)
下駄ブームが続きます。
日中戦争前から比べると3割強の高値で、桐下駄などは一足29銭が45銭〜50銭に高騰します。


13-25.ガソリン切符を報じる記事/東京日日新聞

13-26.隣組のラジオ体操/日本百年の記録

13-27.世界記録を報じる記事/東京日日新聞

13-28.表紙を飾る横綱双葉山/アサヒグラフ
【6月】
1 臨時通貨法が公布施行され、かつて流通していたアルミニウム青銅の孔空き十銭硬貨、五銭硬貨などが復活します。
1 陸軍は明治45年以来27年ぶりに軍服を改正します。
下士官以下の軍装では、戦闘行動がしやすいように、それまでの詰襟を止め、肩章も小型にして襟章になります。
写真は昭和16年当時の伯父の軍服姿です。
(写真13-29)
9 この日の新聞に、【涯なき泥濘】の品切れお詫び広告が出ます。
先月発売され小野巡が歌う戦時歌謡ですが、大ヒットとなり、品切れが続いた事からのお詫広告でした。
歌手の小野巡は元巡査で、銭湯で歌っているところをスカウトされ、この歌を発表した後に出世します。
戦後になって引退しますが、芸名の巡は巡査から取ったものです。
11 日劇にエノケン一座が初出演します。
松竹から東宝に移籍しての初公演で、【エノケンの突貫サーカス】は30日まで続きますが、劇場の周囲を入場客が5重に取り巻くなど、大入り満員公演となります。
13 ソ連のリシュコフ大将が、国境を突破し満州に入り、日本へ亡命します。
スターリンの粛清によって多くの将兵が処刑された事によりますが、リシュコフ大将はレーニン章を持つ革命の代行労者でした。
13 これまで戸籍に記載されていた【平民】の文字が抹消される事になりました。
それまでは華族、士族、平民と戸籍には記載されていました。
13 世界最大級のタンカー【日章丸】が進水式を行います。
総トン数10500トンで、出光商会と大同海運が共同出資の上、当時の造船技術としては最高水準の船舶でした。
昭和17年には海軍に徴用され、昭和19年2月にダバオ諸島沖で魚雷によって沈没します。
14 貨物船【金華丸(9302t)】がニューヨーク〜横浜間の太平洋横断を10日12時間29分の新記録で帰港します。
後に太平洋戦争の輸送船として使用され、昭和19年にマニラ湾にて米軍機の攻撃で沈没しますが、このスピード記録は戦後の昭和28年まで破られませんでした。
14 英国で行われた国際捕鯨会議に、日本が初めて正式参加します。
15 岡山県和気郡の山陽本線で雨による土砂崩れが発生し、この土砂に修学旅行の児童らを乗せた列車が乗り上げ脱線し、更にこの列車に後続列車が衝突するという事故が起こり、修学旅行の児童ら80余名が死傷する惨事となります。
(写真13‐30)
16 東京市の流入人口調査が完成します。
これによると昭和10年の東京人口は584万8921人で、原住者は44%でした。
因みに平成25年1月に東京人口は1322万2760人です。
17 警視総監は《学生狩り》での警官の行き過ぎに対する文部省の講義に対し『学生は時局を認識せよ』との談話を発表します。
●関連↑2/15 ↓6/6/21・6/22
19 亀戸署では【不良未成年者取り締まり】で少年労働者・接客係ら59人を検挙します。
21 早大生が喫茶店で不良学生狩りをしていた巡査を袋叩きにします。
●関連↑2/15・6/17 ↓6/22
22 映画を見ても喫茶店に入っても警官に連行される学生狩りは厳しすぎる。と反対論が新聞に掲載されます。
●関連↑2/15・6/17・6/21
22 宮城県警察部は、警官の靴に代えて草鞋(わらじ)の使用を許可します。
これ以外にも、この月大蔵省は皮革節約の為、下駄履き登庁を認めます。
長期自給体制確保の為でもあります。

●関連 ↓7/1・8/5
23 支那事変による物資不足から【物資総動員計画】が発表され、同時に【使用制限33品目】が発表されます。
これによって、鋼材、金、銅、アルミ、石綿、綿花、羊毛、紙、皮、木材、重油、生ゴムなどの使用が制限されます。
26 貯蓄推進から、全国の銀行と郵便局の日曜営業が開始されます。
27 東京で60年ぶりの豪雨となり、東海道線が不通となるなど、中部と関東地方で水害が発生します。
関連●↓7/30
28 政府が突如【綿製品非常管理】断行を発表し翌29日から施行されます。
これは小売店や百貨店などの在庫に関しては一般売りをしては良いものの、問屋や卸商にある商品は全て公の管理下に置かれるというものです。
(写真13-31)
既に3月に施行された【綿糸配給統制規制】によって、綿製品の製造、販売が制限され品不足となった中での規制で、この為不正取引が横行し《ヤミ》という言葉が生まれます。
翌月には主婦が買い占める事から、商工省は一人一品を厳命します。
この頃は祖父が勤めていた日本橋の斉藤弁之助商店も大打撃となったそうです。
●関連↑3/1・5/22・7/29
30 台風の影響で60年ぶりの水害となった東京では、麻布で三井高公男爵邸の崖が崩れて住宅が押しつぶされるなど、全国の死者行方不明者は933人、家屋全壊2905の被害となります。
(写真13-32)
関連●↑7/28
この月、米国の漫画雑誌に【スーパーマン】が登場します。
6年前に高校生が創作したキャラクターですが、以降大人気となります。


13-29.昭和16年の軍服姿の伯父

13-30.脱線転覆した列車/東京朝日新聞

13-31.綿製品制限を報じる記事/大阪朝日新聞

13-32.家屋全壊となった麻布の住宅/東京朝日新聞
【7月】
1 革製品が暴騰し品不足が深刻になった事で、商工省は《皮革使用制限規則法》を公布し即日施行し、皮革使用を制限して革のおしゃれを禁止します。
この影響を最も受けたのはスポーツ業界で、野球のボール、ミット、グローブ、サッカーボール等が制限を受けた事で、野球の投球技術にまで影響を及ぼします。
●関連 ↑6/22 ↓8/5
1 両国の花火大会が、時局を鑑み中止と報道されます。
明治45年に再開して以来27年目の中止です。
1 6月にソ連から亡命したリシュコフ大将が、逃亡へ至る手記を発表し新聞にも全容が掲載されます。
(写真13-33)
●関連↑6/13
1 東京市内の6商店組合に対し商品券が初登場します。
3 水害後の東京で、集団赤痢が発生し114人が罹患します。
4 文部省は、中等学校の制服は新調を禁ずると指令します。
5 関西地方が豪雨となり、六甲連山の諸河川が決壊し、神戸を中心に阪神一帯で13,200戸が家屋流出し、933人が死亡するという甚大な被害となります。
神戸三宮駅も1階が水没し、旅客業務ができなくなり、また市電も流されたりし、山陽・東海道線は6日間不通となります。
(写真13-34)
7 支那事変勃発1周年となったこの日、国民精神総動員中央連盟が主体となって、不要となった金属類を供出する【一戸一品献納運動】が奨励されます。
但し買って献納するのではなく、廃品に限られますが、金属なら壊れた玩具、歯磨きチューブ、タバコの銀紙、使った蓄音機の針、古釘、タバコや菓子等のブリキ缶、鉄棒、銅、亜鉛等の不用品とされていました。
写真はこの時のポスターです。

13-35.国民精神総動員中央連盟のポスター
(写真13-35)
右はこの時の一戸一品運動の様子ですが、地域によっては子供たちも運動員とした所から、父親の持ち物をこっそり持ち出す子供も多かったようです。
(写真13-36)
7 同じく、【一菜運動】にあわせ、大阪の大衆食堂には国策に沿った【国策料理】が登場します。
豆腐汁にニシン
とナスの炊き合わせ、漬物、麦飯で50銭でした。
7 一菜運動は先ず政府から、と陸軍省では省内食堂に大臣を筆頭に一同が揃い、訓示の後日の丸弁当を揃って食べる事になりました。
一つ7銭の日の丸弁当ですが、この後毎月7日は一菜弁当を食することになります。

(写真13-37)
7 東京連合婦人会では毎月7日を不買デーにすると決定します。
8 非常時国民生活様式委員会は、《戦時生活様式》の衣・食・住・社交に渡る二百余の大綱を決定します。
(表13-2)
8 大日本体育協会は皮革、金属の節約から、優勝盾やメダルの製造禁止を加盟22団体に通牒します。
9 物品販売価格取締規則が公布施行され、麻、ゴム製品など指定品目の値上げを禁止し公定価格とします。
10 警視庁は女性のダンスホール入場を禁止します。
また男性客も入場の際は住所・氏名・年齢・職業を記入するように通牒します。
このため翌日は入場客が半減となります。
10 朝日新聞社では新聞用紙使用制限に基づき、大型広告の廃止の社告を出します。
これによって全10段から全7段の広告は姿を消す事になります。
14 労働運動化で戦後政治家となる赤松常子が【やまと新聞】紙上で、政府の一汁一菜運動に対して反対を論じます。
働く婦人にはもっと栄養のあるものが必要とのことからです。
14 文部省国語審議会は1858字の字体を平易に改める案を可決します。
蟲→虫、絲→糸など
15 この日、厚生省から東京オリンピック中止が発表されます。
(写真13-38)
嘉納治五郎氏らが中心となり昭和15年に皇紀2600年記念と合わせて誘致し、昭和11年のIOC総会で、フィンランドのヘルシンキに9表差で決定したオリンピックですが、既に戦争への道を進んでいた事から中止となり幻のオリンピックとなりました。
前年からオリンピック中止論が出る中、英国IOC委員は「戦争が継続する限り東京に選手は送れない」と発言するなど、東京開催に対する風当たりも強くなります。
更に戦費がかさみ、物資制限がされる中、駒沢に建設予定だったオリンピックのメインスタジアムの建設費が駆逐艦一隻の建造費と同額だったりする事から、当時の厚生相が「国を挙げて戦時体制に備えている時、オリンピックだけをやることは不可能だ。」とこの日の発表となります。
また同時に万国博覧会も延期が決定します。
万博が中止ではなく延期と発表されたのは、既に抽選券付き入場券が560万円も発売されていた為、すぐに中止とは言えなかった事もあったようです。
●関連↑3/10・4/25・5/4
15 4月に施行された《銑鉄鋳物製造制限令》が更に強化され、シャンデリア、机、ガスストーブ、電気ストーブ、鉄瓶やアイロンなども製造が禁止されます。
(写真13-39)
こうした中で唯一制限品にならなかったのはバリカンです。
坊主頭にするには必需品との事からです。
●関連↑4/25
15 商工省では牛豚の代用に、うさぎ・羊・鯨の食用化を奨励します。
16 東京乗り合いバスこと通称【青バス】554台全車が木炭車にすることが決定します。
また、大蔵省もこの月から省内の全自動車を木炭車に改造して行きます。

●関連↑1/1
18 東京市電では座席が取り払われた車両が登場します。
5月のガソリン統制によって、市電の乗客が激増した事からですが、30人分の座席を14人分に減らした事で、定員が25名増えて141名乗りとなります。
国策に沿ったと言う事で【国策電車】と呼ばれました。
(写真13-40)
19 代用品が増える中、日本橋三越で【必需物資代用品博覧会】が開催されます。
●関連↑1/16 ↓8/5・9/15
また慰問品を専門に扱う売り場も前年の高島屋に続いて登場します。
(写真13-41)
22 大阪四天王寺では、高さ7.8m重さ157.5tの世界最大級の梵鐘【聖徳太子頌徳鐘】を国家に献納することに決定します。
以降、全国で釣鐘の献納が行われる事となります。
22 この日から【帝都青年勤労福祉】が始まり、都内の麻布獣医学校や明治中学、女子商業の中学生等が公園の整備などの勤労奉仕を行います。
また日本婦人団体連盟は、団員総出で街頭の無駄探しを行い、ゴミ箱までも検査をして無駄を無くす運動を行います。
23 この日の新聞紙上に、深川から東京湾へ流れる工場の汚水の影響で、浅草海苔の被害が10万円となり、多摩川経由で流れた油の影響で、羽田大森の浅蜊の被害が20万と報じられます。
24 捕鯨船の第二日進丸が横浜に寄港します。
それまでは海中投棄していた鯨油精出後の肉や内臓も持ち帰っての寄航でした。
24 相模川で第一回全国渓流カヌー大会が実施されます。
25 ガソリン節約強化が決定し、自家用車は1日1ガロン(3.7L)と制限されます。
●関連↑3/7・4/30・5/1・7/25 ↓この年
27 内務省は、宴会・贈答品廃止、弁当持参など生活簡素化を通達します。
29 内務省保安局は【経済警察】と称される【経済保安課】を新設します。
綿やゴムなどの経済統制品の生産や販売の違反者を取り締まる為で、全国に千余名は配属されます。

●関連↑3/1・5/22・6/28・7/29
30 政府首脳らを理事とする【産業報国連盟】が創立します。
企業の争議や労働運動をなくし、国家総動員体制に組み込み、長期化する戦争の生産力増強の為、全労働力を動員する事を目的とし、翌年には各県単位となり、15年にはほとんどの事業所が加盟します。
これによって労働組合が消滅する事になります。
関西のある病院が《千人針の中に女性の髪の毛を入れる》運動を起こします。
かつて武士だったという京都の老人から「昔ヤリで腹を突かれたが、女性の毛髪を腹に巻いていた為、ヤリの先が滑って命拾いした。」と言って女性の髪の毛入りの千人針が届いたのがきっかけです。
日の丸弁当や肉なしデーが出来る中、上野動物園でも馬肉の変わりに魚肉を与えるなど、動物に対しても代用品が使われます。
この頃から映写機の製造が禁止となります。
更に10月には蓄音機の販売も禁止されます。
この月文部省は学校の新築禁止を決定します。
更に小学校教科書類は改訂分以外は古いものを使用し、中学校の新規教科書採用を避けるよう指令します。


13-33.リシュコフ大将手記の掲載記事/中外商業新聞

13-34.豪雨で流された市電/東京朝日新聞

13-36.一戸一品献納運動/写真週報

13-37.一菜弁当を食べる陸軍省の面々/アサヒグラフ
戦時生活様式大綱(表13-02)
帽子、上着、ネクタイ、手袋、襟巻、足袋、オーバー、二重回し、コート、羽織、ステッキなどの省略
下駄、わらじ、蓑草履の奨励
冠婚葬祭での平服
華美なる衣類を避け、なるべく白または黒の単色
栄養の少ない白米の禁止
一週一日は寒食デー或いは日の丸弁当デーの永続
宴会はなるべく取りやめ、洋酒は禁止
主婦は一汁一菜の栄養料理を研究、予算生活を行う
新築は見合わせる
庭園などの空き地にはなるべく野菜を栽培
井戸を掘り空襲に備える
社 交 中元歳暮の礼状、年賀状、見舞状、贈答品の廃止
結婚は質素を旨とし祝儀の辞退、結納金の大減額を行い、参列者は近親と関係者だけに止める
お通夜なども近親者だけとする
出産、節句、七五三などすべてを内祝ひとし冗費を記念貯金に振り返る

13-38.オリムピック中止の記事/東京日日新聞

13-39.銑鉄第二次使用制限の記事/大阪朝日日新聞

13-40.椅子が取り払われた市電/日本百年の記録

13-41.三越の慰問品売場広告
【8月】
1 警視庁は警官の白い制服とズック製靴を今夏限りで廃止と決定します。
それまでの夏の警官の服装は白い制服でした。
写真は【昭和9年・谷中夏祭り】に掲載のお祭りですが、この頃の警官は白い制服姿です。
(写真13-42)
1 銅使用制限が強化され、一般民需の銅使用が前面禁止となります。
4 商工省は乗用車の新規製造中止を指令します。
5 名古屋・松坂屋に代用品売り場が登場します。
その後こうした売り場は全国に広がって行きます。
(写真13-43)
この頃には代用品は益々増え、竹のスプーンや木のバケツが出来、代用皮革として蛇、サケ、蟇、食用蛙、鯨などが登場します。
蛇皮は下駄の鼻緒、バンド、ネクタイ、ハンドバックになり、サケの皮のハンドバッグも登場します。
蟇は文字通り蟇口や小物袋に、食用蛙は靴、袋物などに利用され、鯨の皮は野球のグローブになって登場します。
また東京魚市場内にもサメの皮を回収して代用皮を作る業者が開業します。
鉄道省でも客車も代用品でまかなうことになります。
寝台車や展望車など贅沢車は廃止され、窓枠はチーク材からエゾ松、ケヤキ、桜を使用し、腰掛もモヘヤからスフになり、スプリングは海綿に入れ替えられます。
●関連 ↑1/16・6/22・7/1・7/19 ↓9/15
6
物資非常統制に沿い逓信省は電話の新規仮設制限と、加入権譲渡の禁止を公布します。
10 拓務省が政府としては初めて全国から【大陸の花嫁】を募集します。
●関連↑4/8・5/5・5/9
11 警視庁は東京市内の7つの百貨店に対して増築中止を命令します。
13
大阪府知事は、白米の精米販売禁止を決定します。
この白米精米禁止は順広がって行きます。

●関連↑1/28・3/1 ↓8/26・9/1
14 全日本草刈選手権大会が荒川方水路堤防で行われます。
優勝は宮城県の青年で、優勝商品は牛1頭でした。
14 本土向けの金属玩具の製造禁止令が公布されます。
15 電車や汽車のネームプレートが金属製から木製に代わります。
16 ヒトラー・ユーゲントの一行30人が来日します。
ドイツナチス公認の青少年組織の17歳〜18歳の少年たちで、ドイツからの使節として横浜港に到着し、翌日には宮城遥拝し明治神宮や靖国神社などを訪問し、その後11月12日まで富士山登頂、日光、箱根、奈良、京都、大阪、九州など各地を周りながら90日間日本に滞在します。
(写真13-44)
ヒトラー・ユーゲント一行の軍隊のような規律と行動と制服は連日新聞などで報じられ、後の日本の青少年団の統合に一石を投じる事となります。
19 日本雑誌協会は、800誌の減頁を決定します。
21 豊田正子原作の【綴方教室】が高峰峰子主演の映画となって封切られ人気となります。
●関連 ←12年8/3 ↑3/6
22 大本営は漢口攻略作戦を命令します。
23 内務情報部が、文芸家協会会長の菊池寛と懇談し、漢口戦略の為《ペンの力》を要請し、文壇総動員のペン報国団が誕生し、漢口従軍が決定します。
(写真13-45)
●関連↑1/13・3/15 ↓9/11・9/14・9/27・11/14
先のわらわし隊こと皇軍慰問演芸班や皇軍慰問芸術団に引き続いての慰問団ですが、こうした慰問団はこの後昭和16年8月までに400団余が派遣されます。
24 東京大森の羽田空港上空で、民間機2機が空中衝突し、市街地に墜落して搭乗の5人は即死します。
その後搭乗者を救出しようと、近隣の工場の工員や住人ら100数十名が集まった時に、ガソリンに引火し大爆発となり、死者85人、負傷者45人という、羽田空港開港以来の大惨事となります。
写真は惨事を伝える様子です。
(写真13-46)
26 既に白米の精米禁止は、北海道、神奈川、滋賀、大阪、福岡で実施されていますが、警視庁衛生部と厚生省などで、この白米禁止を全国に通達する協議を始め、まずは搗粉混入が禁止されます。
因みに全国に白米禁止令が発せられるのは、翌年の昭和14年12月になります。
●関連
↑1/28・3/1・8/13・↓9/3
27 内務省は《時局にふさわしくない》子供雑誌の出版代表者を呼び、子供向け雑誌での【彼氏】という言葉の使用を禁止するなど厳重注意を通達します。
30 読売新聞は《我が社の航空報国四大施設》との見出しで、
・読売飛行場建設
・パラシュート降下大鉄塔
・新鋭飛行機購入
・新式グライダー購入
などを紙面にて社告を発表します。
当時の飛行場は羽田空港にあるだけで、またパラシュート降下鉄塔はソ連に一基か二基ある程度で、大衆公開目的としては世界初でした。
この頃から新聞の広告が軍国調になって行きます。
この月の雑誌【改造】に火野葦平の長編小説【麦と兵隊】が発表され単行本は120万部というベストセラーとなります。
(写真13-47)
この人気から陸軍報道部が歌にする事を決定し、12月に発売されると、こちらも大ヒットとなります。


13-42.昭和9年の警官の白い制服/昭和9年・谷中夏祭り

13-43.百貨店の代用品売り場/日本百年の記録

13-44.来日したヒトラー・ユーゲント/写真昭和30年史

13-45.文壇の漢口従軍を報じる記事/東京日日新聞

13-46.民間機墜落事故の写真/東京朝日新聞

13-47.ベストセラーとなった麦と兵隊
【9月】
1 衣服改善刷新委員会を通じて、国民服が制定され、背広や婦人和服などの簡素化改良がなされる事になります。
1 商工省は新聞用紙制限令を実施します。
更に翌々日の3日には雑誌用紙節約が通牒されます。
従来よりも新聞用紙は12%減、雑誌用紙20%減、書籍用紙35%の供給制限指令です。
既に雑誌は前年より用紙減を余儀なくされ、8月にも更に2割減とされていました。
これは昭和11年頃の婦人誌に比べると4割の頁削減でした。
1 東京女子大、津田塾、聖心女学院などの生徒が被服廠の作業に従事します。
1 関東から奥羽地方に大型台風が襲来し、死者行方不明者245人、負傷者137名となります。
首都圏では大正6年以来21年振りの直撃で、風速は31mを記録し、死者99名、全壊家屋1500戸、少電や私鉄など合わせて18線が不通となり、ます。
特に江東方面は午前3時前から停電となり、明け方には全域で道路が氾濫します。
1 東京市で白米禁止令が出されます。
既に全国各地で搗粉混入が禁止されていますが、これより一歩進めた白米禁止令となります。
●関連↑1/28・3/1・8/13・8/26
6 富山県氷見町で煙草の不始末から出火した火災が、西日本を襲った台風の余波によって町全体の大火となり、1534戸が焼失します。
(写真13-48)
7 平安末期の絵巻物で最も貴重な文献とされている【病草紙】の未発見の一部が美術商の店頭で発見されます。
【病草紙】は当時のさまざまな奇病や治療法などを絵巻物にしたもので、後に国宝に指定される貴重な作品です。
11 久米正雄、丹羽文雄、林扶美子ら従軍作家陸軍部隊が漢口に出発します。
●関連↑1/13・3/15・8/23 ↓9/14・9/27・11/14
12 東京市の正午の時報のサイレンが廃止され、防空訓練警報用になります。
14 三菱重工は一二式艦上戦闘機の試作機を完成させます。
後の零式艦上戦闘機で当時としては飛行性能としては最高水準の戦闘機でした。
14 従軍作家の陸軍部隊に引き続き、海軍部隊が出発します。
(写真13-49)
写真は右から吉川英治、吉屋信子、北村小松、浜本浩、小島政二郎、菊池寛、佐藤春夫の作家達です。
こうした従軍作家によってこの後発表されるものは、軍関連のものへと変わってゆきます。
また、これに引き続き27日には詩曲舞台も出発します。
●関連↑1/13・3/15・8/23・9/11 ↓9/27・11/14
14 山形県米沢市の女性が、フィリピンの日本人労働者と結婚する為出発しますが《南洋花嫁》の第一号となります。
15 国産代用品普及協会が設立されます。
手始めに登場したのは、醤油用の大豆・小麦を廃し、蚕のさなぎによってアミノ酸醤油となり、駆虫薬のサントニンは海人草に、胃腸薬はせんぶりに変わります。
代用品は飲食にも及び、【金魚酒】が出回ります。
これは水を八割程入った酒で、金魚を入れても死なない為「金魚酒」と呼ばれます。
●関連↑1/16・7/19・8/5
15 この日の夕方から東部防空訓練の実戦訓練が行われ、東京府や神奈川など市内の電灯が消され暗闇の中2時間に渡って防空訓練が行われます。
この灯火管制中の暗闇の中、横浜戸部駅構内で、京浜電車の普通電車に急行が追突する事故が起こり110余名が重軽傷を負います。
(写真13-50)
15 田中絹代と上原謙主演の【愛染かつら】が封切られ、連日大入りとなり浅草では10週連続公開されるなど各館で大入り満員となります。
また桐島昇とミスコロムビアが歌う主題歌の【悲しき子守唄】と【旅の夜風】も大ヒットとなります。
(写真13-51)
21 映画俳優や少女歌劇などのスターにサインをねだる事は、健全な日本人にふさわしくないとして禁止されます。
23 警視庁は《外国崇拝排撃》として、来日俳優や選手へのサイン要求禁止、花束贈呈禁止、控え室や楽屋の出入りを禁止する旨の厳重通牒を発します。
24 八丈島に台風が襲い、1602戸が全半壊となり、農業は全滅となります。
27 先のわらわし隊の漫談界や文壇界の海軍従軍作家の慰問が続く中、詩曲部隊も大陸の将兵慰問に出発します。
右は東京駅にて第一陣として出発する佐伯孝夫、飯田信夫、深井史郎と、それを見送る山田耕作、勝太郎、西条八十などの面々です。
(写真5-52)

●関連↑1/13・3/15・8/23・9/11・9/14 ↓11/14
28 大日本婦人団体連盟が主催する不用品交換即売会が府商工奨励館にて3日間に渡って行われ、入場者は3万人、売り上げは1万円を記録します。
特に初日は10時開門と同時に婦人たち8千人もの人が並び、入場制限する程となります。
(写真13‐53)
30 ドイツのチェコスロバキア問題について、ドイツのヒトラー総統、イタリアのムッソリーニ首領、イギリスのチェンバレン首相、フランスのダラディエ首相ら4国首脳による【ミュンヘン会談】が行われ、ドイツの要求が全面的に承認されます。
これによって翌10月1日にはドイツ軍がチェコスロバキアに進駐します。
パイロット万年筆は、ペン先がステンレスの白ペン付きN式万年筆を発売します。
インク瓶に差込みインクを吸収するタイプで、この後従来の金ペン万年筆は製造禁止となり、需要が高まります。


13-48.氷見町大火を報じる記事/東朝日新聞

13-49.従軍作家海軍部隊の面々/写真昭和30年史

13-50.京浜電車追突事故を報じる記事/東京朝日新聞

13-51.愛染かつらチラシ

13-52.大陸の将兵慰問に出発する詩曲部隊/日本の百年

13-53.不用品交換即売会に押し寄せる人波/写真週報
【10月】
1 《商店法》施行により、夜10時以降の商店での販売が禁止され、同時に女子及び年少者の就業時間も1日11時間以内に定められます。
従業員の過労が動員体制に支障をきたさないように施行されますが、飲食店は別扱いでした。
1 《石炭配給統制規則》が施行され、切符制が実施されます。
2 宝塚少女歌劇が、日独伊親善芸術使節団としてドイツとイタリアに向けて出発します。
小林一三を団長とし、組長天津乙女たち46名が神戸を出港します。
4 名古屋市で男子職員は全員丸刈りにするよう通告します。
4 3月から活動を続けていた浅間山が大噴火をし東京にも降灰します。
5 全国の国鉄食堂車に配属される【列車ガール】の募集30名に対し、1000名もの応募がありました。
(写真13-54)
月給70円、食事制服会社支給という好条件もあっての人気で、5日6日にかけて東京駅鉄道ホテルにて最後の審査が行われました。
5 【第一回防共オリムピック】が神宮外苑にて行われます。
日本、ベルリン、ローマの防共3首都の青少年をスポーツで結ぶと言うもので、来日中のヒトラーユーゲントも参列します。
5 東大教授で自由主義者である、河合栄治郎の【ファッシズム批判】【時局と自由主義】など4著が発禁となります。
五・一五事件や二・二六事件について、軍部やファシズムを批判する論評が問題視され、翌年1月には休職となり更に起訴され裁判となります。《河合事件》
こうした自由主義への軍部や右翼の弾圧は前年の《矢内原忠雄事件》からで、更に翌年の《津田左右吉事件》と続き、益々ファシズムと軍部の勢力が増して行きます。
6 北海道夕張炭鉱でガス爆発が起こり162名の死者となります。
(写真13-55)
10 商店法が施行されて10日目のこの日、深夜の0時から開店する店が現れます。
閉店は22時でも開店の制限はないとの解釈からで、吉原遊郭内の三十余軒の物品販売業者が開店します。
10 米国の女子ソフトボールチーム51名が来日し、東京や大阪など5都市で紹介試合を行います。
ただし、後楽園球場で練習をしたところ、ショートパンツのユニフォームが風紀上問題があるとされ、結果投手は長いパンツで、他は股下2寸で許可されます。
(写真13-56)
15 商工省は国内向けの蓄音機の製造を禁止します。
当然ながら広告なども見かけなくなりますが、(写真13-57)は手元にある新聞の中で、一番最後の蓄音機の新聞広告です。
因みに一番安価は重さ4.65キロの第230号28円で、一番高価なものは、ラジオも付いた自動演奏機でなんと990円です。
15 鹿児島に台風が直撃し、死者行方不明者が453人となります。
16 文京区に六義園が開園します。
将軍綱吉の側用人、柳沢吉保の下屋敷庭園で、度々将軍が訪れる天下一の庭園と称されており、江戸の大火や震災の被害も受けず、この日の開園となりました。
●関連↑4/15
18 東京市防衛課は、日々や公会堂前広場に、標準型防空壕を6個作り一般に公開します。
値段は50円から300円で、空襲に襲われても絶対的な威力を発揮すると言う触れ込みで、中はアリも入れないほどの精巧さを謳っていました。
以降防空壕は各所に作られる事となります。
が、実際は東京大空襲によって全く効果がない事が判明されました。
20 警視庁は塩の節約から、盛り場などの盛塩を禁止します。
21 日本軍が広東を占領します。
24 森永製菓はブリキ禁止から容器を紙箱に変更します。
26 内務省は少年少女雑誌編集者を招き、《児童読物改ニ関スル指示要綱》を通達します。
これによって【少年倶楽部】などの少年誌などにも、国策に沿った規制がされてゆきます。
この為児童書は少しずつ娯楽性が失われ、軍事色が強くなり、かつて日本一の売り上げだった【日本少年】は通達がなされると同時に廃刊となり、同じく人気少年誌の【譚会】もこの後廃刊となります。
27 日本軍は武漢三鎮(漢口、武昌、漢陽)を制圧します。
翌日28日には提灯行列が盛大に行われ《帝都闇なし、灯の海に泳ぐ40万》と報じられます。
30 米国CBSのラジオドラマ【火星人来襲す】を放送したところ、ラジオドラマ中の臨時ニュースを本物と信じ、全米各地でパニックが起こります。
金属材料の配給統制によって、暖房器具が最高7割高と暴騰します。
愛国婦人会が銃後講演会強化徹底標語を発表します。
《兵隊さんは命がけ、私たちはたすきがけ》
東京横浜電鉄(現東急)が、伊東温泉別荘地の販売を開始します。
分割払いも可能で、別荘地が初めて分譲されます。
満州から満州建国博覧会の親善使節として李香蘭(山口淑子)が初来日し、エノケンと共に日劇の舞台に特別出演します。
その後も日本国内の舞台や映画に、中国人女優として出演し人気となります。
写真は翌年昭和14年に長谷川一夫と共演した【白蘭の歌】です。
(写真13-58)

13-54.列車ガール採用試験の記事/東京日日新聞

13-55.夕張炭鉱の事故を報じる記事/東京朝日新聞

13-56.女子ソフトボールチーム練習風景/アサヒグラフ

13-58.李香蘭と長谷川一夫/日映画百年史

(写真13-57)

【11月】
1 女性3人が司法試験に合格します。
(写真13-59)
その後中田正子女史らは昭和15年に弁護士試補試験に合格し、女性で初めての弁護士が誕生します。
1 内務省は子供雑誌の付録全廃を指導します。
これに沿って出版社側もこの方針に沿い順次付録が無くなって行きます。
3 トヨタが初の大衆車量産工場が愛知県西加茂郡挙母町に完成します。
前年豊田自動織機自動車部から分離したばかりで、従業員数役5000人、トラックを中心にコンベアー方式での一貫製造工場となります。
3 丸の内の開発が進む中、旧警視庁跡地に第一生命新館が竣工します。
地下70尺(21m)まで基礎が打たれた当時としては耐震性に優れた建物で、戦後はGHQ総司令部が置かれます。
(写真13-60)
9 警視庁保安課では、戦時下における健全なスポーツや演芸擁護の建前から、ダフ屋を徹底的に締め出すこととします。
10 上野に東京帝室博物館・本館が開館し、15日から一般公開されます。(現東京国立博物館)
(写真13‐61)
12 東京奥多摩の小河内ダムが着工します。
世界第3のダムで、湖底に沈む小河内村の6百戸3千人が故郷を離れる事となりますが、昭和18年10月には戦局の悪化によって工事が中断されます。
この後昭和23年に工事が再開され、竣工したのは昭和32年になります。
このダムによって出来たのが奥多摩湖です。
14 水の江滝子ら松竹少女歌劇団一行が、北京などの華北慰問に出発します。
この年は作家や作曲家、漫才などさまざまな分野が慰問に向かいます。
●関連↑1/13・3/15・8/23・9/11・9/14・9/27
15 熱海〜伊東間列車が開通します。
かつてはこの路線は人車鉄道が通っていました。
16 東京高速鉄道の虎ノ門〜神宮前間が開通します。
翌月には渋谷〜虎ノ門が、翌年には渋谷〜新橋間が開通しますが、既に開通していた浅草〜新橋間の東京地下鉄道とは別会社だった事から、新橋駅では乗換えが必要でした。
因みにこの頃虎ノ門という町名はなく、かつてこの地に江戸城の虎ノ門があった事に由来します。
写真は江戸時代の虎ノ門ですが、ここに現在の町名がついたのは、戦後昭和24年になってからです。
(写真13-62)
18 収容人員4万人の京都競馬場が落成します。
観覧の邪魔にならないよう、屋根の市中がない構造です。
20 代々木練兵場で第一回東京府青年学校生徒大会が開催されます。
20 岩波新書が発刊されます。
第一弾は斉藤茂吉の【万葉秀歌】などでした。
21 大阪府警察部は95名の少年警察官を採用します。
長引く日中戦争によって警官が不足した事から、17歳から20歳の男子を募集し、前月18日に採用試験を実施し、教育期間を経た後の採用でした。
21 天理ほんみちの380人が、治安維持法違反によって一斉検挙されます。
《第二次ほんみち事件》
21
鉄屑配給統制規則が公布されます。(12/1施行)
21 東京の百貨店が組合を通じて年末の自粛を申し出ます。
・福引景品付き売り出しをしない。
・売り出しのための豪華な電飾を行わない
・新聞広告は4段までにする
・アドバルーンを使わない
・鉄道沿線に売り出しの看板を設けない

・楽隊を使用しない
28 大日本航空株式会社が設立します。
日本航空輸送と国際航空両者が合併した独占機関となります。


13-59.女性初の弁護士誕生を報じる記事/東京朝日新聞

13-60.GHQ総司令部が置かれた第一生命ビル/wikimedhia

13-61.開館した東京帝室博物館/写真週報

13-62.江戸期の虎ノ門/wiki medhia
【12月】
6 内務省は少年少女雑誌に続き、絵本出版業者に対して子供の絵本改善を指示します。
7 映画【怒涛を蹴って】【五人の斥候兵】【風の中の子供】【南十字星は招く】が第一回文部大臣賞を受賞します。
特に【五人の斥候兵】は前年末に発表された映画で、日中戦争で北支駐屯の一部隊長と5人の部下の友情を人間的な角度で描いた映画で、この年のキネマベストテン一位となり、8月にはイタリアのヴェネチア国際映画祭においても文化大臣賞を受賞した作品です。
(写真13-63)
8 専売局がパルプ不足の影響から、タバコの空箱回収運動を始め、全国18万の小売店に呼びかけます。
10 東京市内の百貨店ではクリスマスセールの宣伝を自粛すると共に、クリスマスの文字も取りやめると報じられます。
15 国鉄伊東線の静岡県熱海駅〜伊東駅間が全通し、東京〜伊東間の直通運転が始まります。
これにより特急富士の熱海駅停車が実現します。
19 早稲田大学では、翌年新学期から女子学生にも開放すると発表します。
20 南アフリカ、マダガスカル近海の小さな漁港で、体長1.5m、体重57.5キロで鰭が10枚という変わった魚が水揚げされ、後に3億5千万年前と変わらない生きた化石といわれるシーラカンスと発表されます。
実際に発表されるのは翌年2月ですが、以降数々のシーラカンスが捕獲され、ビデオなども撮影されます。
因みに12月20日は《シーラカンスの日》とされています。
21 内幸町に東京放送会館が竣工します。
(写真13-64)
ラジオの契約が増え、更に東京オリンピックの中継の必要性から、それまでの愛宕山から新しいスタジオとして移転します。
戦後はGHQによって一部が接収され、戦後の東京オリンピック開催時まで運用されます。
26 北海道帝国大学の中谷宇吉郎教授らが、雪の人工結晶に成功し、この日論文に発表します。
後に雪氷学や雲物理学研究の基礎となります。
27 富山県黒部奥山の発電所工事現場でなだれが発生し、飯場の作業員100名が生き埋めとなり、40人が死亡するという災害が起こります。
東京日日新聞では火野葦平の【海と兵隊】の連載が始まります。
従軍作家として広東進軍に従軍した戦記でした。
(13-65)
この月、豊島区雑司ヶ谷に日本初のロッカー式納骨堂が建築されます。
従来の墓石よりも場所をとらず、一つのロッカーには10個が納骨でき、これを440個設置します。
童謡の【お猿のかごや】が発表されます。
資生堂は原材料事情悪化によって、化粧品114品目の製造を中止します。
日本食堂は、北海道稚内港桟橋待合室に、駅食堂を設置します。
駅構内食堂の始めですが、以降昭和14年10月に広島に、昭和15年10月には大阪駅構内にも設置します



13-63.五人の斥候兵/映画百年史

13-64.当時の東京放送会館/ウィキメディア

13-65.連載となった海と兵隊/東京日日新聞

5月にガソリン切符制が施行され、益々ガソリンが貴重になる中、《ガソリン一滴は血の一滴》などの標語が貼り出されるようになります。
(写真13-66)

●関連 ↑3/7・4/30・5/1・7/25
この年の《海軍厨業管理教科書》に【肉じゃが】の作り方が掲載されます。
当時の舞鶴鎮守府の初代長官だった東郷平八郎元帥が、イギリス留学中に家庭で食べたジャガイモのシチュー味が忘れられず、部下にジャガイモ料理の研究を命じ、その後一度に大量に作れ、艦内食にも適している事から、今回の掲載となりました。
こうしたことから、現在舞鶴市は【肉じゃが発祥の地】とも言われています。
銀座にホットドッグを売る屋台が登場して人気となります。
昭和5年にパン食が登場して以来、トースターが家庭に広まり、パン食が増えてきましたが、それまではせいぜいバターた蜂蜜を塗る程度でしたが、パンにソーセージを挟んでスタードを付けたホットドッグはたちまち銀座の名物になります。
米デュポン社がナイロンストッキング及びテフロンを発表します。
この年有楽町の東京日日新聞社(現毎日新聞)屋上に、東京初のプラネタリウムが開設します。
この年ロックウール(石綿)が開発されます。
この後昭和36年に天井吸音板として普及しますが、発がん性があるという事から現在は規制されています
長野犀川線(現国道19号線)が開通し、長野市〜松本市間が全通します。

13-66.標語が貼られるスタンド/日本百年の記録
昭和13年の流行
流行歌 愛国行進曲、雨のブルース、悲しき子守唄、支那の夜、旅の夜風、満州娘、麦と兵隊、涯なき泥濘、日の丸行進曲、別れのブルース《軍国歌謡・ブルース大流行》
童謡 お猿のかごや
玩具・遊び びっくり箱、ドンテッテ
映画 愛染かつら(田中絹代)、阿部一族(中村翫右衛門)、五人の斥候兵、綴方教室(高峰秀子)、藤十郎の恋(長谷川一夫)、路傍の石(片山明彦)文部省推薦映画第1号、モダンタイムス(チャップリン)
舞台 綴方教室(新築地劇団)、火山灰地(新協劇団)、エノケン一座日劇公演
芸能 入場税実施、落語家漫才師の戦線慰問【わらわし隊】
雑誌・出版 写真週報創刊、岩波新書発刊
文芸 麦と兵隊(火野葦平)、風立ちぬ(堀辰雄)、生きてる兵隊(石川達三)発禁、暖流(岸田国士)
スポーツ 東京オリンピック中止
文化・社会 女性の自粛髪型【ロール巻き】
放送 東京放送会館竣工
言葉 ○○相手とせず、買いだめ、純綿、新秩序、代用品、大陸の花嫁、抱き合わせ、黙れ!、木炭車、わしゃかなわんよ、
モノ・人
代用品、サケの皮のバンドやバッグ、スフ、竹スプーン、木炭自動車、もんぺ、
この年の初登場
国産電機バリカン、缶入りみかん飲料、蛍光ランプ、タイムカプセル、冷凍食品、おもちゃのハシゴ車
この年の物価
のしもち2匁90銭、国策料理50銭、日の丸弁当7銭、エビスビール38銭、食パン1斤20銭、駅弁30銭、国民服10円、ゲートル58銭、防護団女性服もんぺ上下5円30銭、桐下駄45銭〜50銭、ユベラ3円50銭、パーマ7円〜10円、電気アイロン3円80銭、洗濯板20銭、芝浦電気冷蔵庫370円〜、第一ホテルシングル2円80銭、東京〜大阪3分間通話料1円25、市電運転手初任給50円〜60円、日劇ダンシングチーム月給100円、びっくり箱10〜50銭、銭蓄音機28円〜90円、煙草値上げ(敷島22銭、朝日18銭、チェリー15銭)、小石川後楽園入園料5銭、大相撲夏場所初日入場料50銭均一

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