4-46.昭和8年・上野動物園   ・ 

上野動物園の写真が何枚かまとまって出てきました。
プリントの裏に《昭和八年拾月廿九日》という記載がありましたので、調べましたらこの年10月29日は日曜日でした。



まずは、キリンの写真ですが、このキリンはこの昭和8年8月21日に、ペアで上野動物園にやってきたばかりです。
また、この写真が撮られた時期はさまざまな動物が上野動物園にやって来ている時代で、この時も日曜日という事と、新しくやってきたキリンや、その他の動物を見ようと、たくさんの方が来ていたと思われます。


上野動物園 キリンの長太郎と高子/昭和8年
「そういえばキリンが来たというので、みんなで見に行ったよ!確かサル山も出来たばっかりだったし、新しい動物が次々やってきたからなぁ・・・」

と伯父も申してましたが、右の写真に写っている二頭のキリンがそのようです。
早速一般公募で《長太郎》と《高子》という名に決まったそうですが、まさにそのままの名前ですね!

このキリンのカップルは、先の博覧会でハーゲンベックサーカス一行が来日した際に一緒にやってきたもので、博覧会会場の隣には臨時の動物園も設けられ、その後日本各地をサーカスと一緒に旅をしました。

そして日本で最後の博多の興行が終了してから、貨車に載せられ上野にやって来たようです。

因みにこの時のキリンの購入価格は、小学校教諭の初任給が60円前後だった頃に25,000円という破格の価格だった事から、上野動物園園長が議会答弁をしてようやく予算が認証されました。
 


こちらの動物たちも、この頃になって新しく動物園にやってきたようです。

左のマントヒヒのペアはこの年昭和8年の夏にやってきたばかりです。

その下のシマウマは2年前の昭和6年に上野動物園にやってきたものですが、シマウマに餌をあげているようです。
大きな歯が見えます、昔はこんなことも出来たのですね。

他にも上のキリンと一緒にマンドリルもやってきたり、ダチョウ舎も新しく出来たばかりのようで、下の写真にもダチョウが写っています。


また左一番下に写っているのは水牛のペアですが、この水牛は《入間川七五郎》という相撲取りからの寄増だったそうです。

その為、両国国技館より歩いて水牛を引きながら上野動物園にやってきたという事です。

沿道も大変な賑わいだったとの事ですが、今では信じられないような、なんとものどかな話ですね。

さて、現在国内には80を超える動物園がありますが、恩賜上野動物園は、明治15年開園の、日本で初めての動物園です。

東京国立博物館と同時に開園し、開園当時は物珍しさもあって、入場者も多かったようですが、公開している動物は鹿・猪・鶴・鴨といった小動物が多く、猛獣と呼べる動物はヒグマのみだったそうで、その後は入場者数もさほど多くはなかったようです。

これが、明治20年になると、トラが公開され、次第に人気が高まってきます。

このトラは、たまたま前年に神田で興行中だったイタリアのチャリネ曲馬団一行のトラが3匹の赤ちゃんを産み、日本のヒグマと二頭のトラを交換したものです。

神田で生まれたことから「神田っ子トラ」と呼ばれ、たいそうな人気となったようで、これ以降海外と動物を交換したり買ったりすることが増えていきます。

因みにこの、明治19年のチャリネ曲馬団の神田での興行は、本格的な西洋曲馬団として大成功を収め、翌年から明治時代後半まで度々靖国神社で興行がされたそうです。

そして《曲馬団といえば靖国神社のチャリネ》と言われる程の人気となったそうです。

さて、ハーゲンベックからキリンを購入した事は先に述べましたが、明治時代からライオンや北極熊等の取引があったそうです。

この年開催されたハーゲンベックサーカス団と一緒に日本に来て展示された動物たちも、ほとんどが日本各地の動物園で買われたそうです。

また最近の動物園は、柵をなくしたり、自然のままの姿を見せようとする傾向ですが、ドイツのハーゲンベック動物園は柵がない動物園として有名で、この最近流行りの展示方法を、百年も前から実施している動物園としても知られています。



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