6-2.昭和13年・東京外国語学校 2   ・ 


東京外語学校正門前/昭和13年頃

今度の写真は、昭和13年〜14年頃の、東京外語学校の正門前での写真です。

関東大震災で前校舎が焼失した為、文部省があった麹町区竹平町(現一ツ橋一丁目)の広い敷地に仮校舎が建てられましたが、写真にも写っている門や塀などは明治時代から引き継いだ同じような造りです。

この校舎は、当初は仮校舎として建てられたものでしたが、新校舎建設及び移転の為の国家予算がなかなかつかず、20年近く仮校舎での授業が続き、結局伯父はこの仮校舎で大学生活を過ごしたそうです。

写真の右端が伯父で、一緒に写っているのはこの頃の写真に度々に登場する級友ですが、草むらがあって、一見田舎の風景のような感じもします。
が、この場所は現在の東京メトロ東西線、竹橋駅の地上部分で、パレスサイドビルが建ち、毎日新聞社本社があり、都内でも交通量が激しい内堀通りです。
と言う事は、写真を撮っているすぐ後ろが皇居の堀という事になり、現在の平川門の交差点と言う事になりますが、今では想像出来ない景色です。


東京外国語学校があった場所に建つパレスサイドビル

上の写真は、竹橋交差点から見た、内堀通りの向こうに建つ、パレスサイドビルですが、ここがかつて東京外語学校があった場所になります。
このパレスサイドビルは、昭和41年竣工の地上9階、地下6階という当時としては画期的なビルで、毎日新聞社をはじめ、100を越すテナントが入るビルでもあり、完成翌年には天皇陛下も来館されました。
また、この手間隙かけて作られたビルは、モダニズム建築二十選にも選ばれたり、数々の賞を受賞し代表的な近代建築物とも言われています。 


校舎前での記念撮影・フランス語先生を囲んで/昭和13年頃

こちらの写真も同様に学校の前での写真ですが、外国語学校らしく、専攻していたフランス語の先生を囲んでの記念撮影のようです。

「この先生はフランス語を教えていたヌエット先生だ!」

とすぐに思い出していましたが、入学して間もない一年生当時の写真のようで、後ろに写っている建物が校舎になります。
道路にはトラックが走っている様子も見えますが、車線よりも歩道の幅がある事が判ります。
現在はこの通りは内堀通りと言い、前頁写真でも判りますように、片側四車線の幅広い通りに変わっています。


校門前・フランス語先生2名を囲んで/昭和13年頃

「女の先生は確か僕たち以外にも他で教鞭をとっていたな〜」
と思い出していましたが、外国語学校らしく、いろいろな先生がいらっしゃったようです。

写真に写る校舎は、元々仮校舎として建てられた事は先にも述べましたが、確かに仮校舎らしく平屋の校舎で、妙に横に長い校舎が伺えます。

「仮校舎だったから、結構安普請の感じがあってな〜
結局僕らが卒業した後に、この校舎も移転して取り壊しになり、次からは新しい駒込の校舎で授業が始まったはずだよ・・・」

と申していたように、伯父たちが在学中の昭和十五年に、滝野川西ヶ原の元海軍施設跡に新しく木造校舎が建てられ、順次移転が進められますが、伯父たちは新校舎ではなく、一ツ橋校舎で卒業することになります。

尚、西ヶ原校舎も昭和20年の戦災で全焼し、その後他の学校跡地を借用しながら、再度西ヶ原に校舎が建ちますが、現在は府中に校舎があります。


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