6-27.昭和15年頃・熱海行き 汽車   ・ 


スハ32617の客車/昭和15年頃

スハ32617の車内/昭和15年頃

汽車や電車写真に乗っている写真は何枚かありましたが、こちらは帽子のマークから大学時代のようです。
他の写真からして昭和15年頃と思われますが、随分と黒光りしている客車です。
またこの時代の電車特有の、鋲というかリベットらしきものが随分と打たれています。
更に客車横には、《熱海行 FOR ATAMI》と《スハ 32617》と言う文字が見えます。



そして下はその列車内ですが、車内には《危》と思われる文字も見えます。
また、熱海行きということは、東海道本線と思われます。


【スハ32617】を調べ、当初昭和4年から6年にかけて製造された3等客車と思っていましたが、御覧になった方からこの客車は、【スハ32600型】とのご指摘を頂きました。
よく見ると屋根付近に横向き通風機が写っているのが分かりますし、リベット(鉄板を連結する手法の一つで鋲を打ち鉄板を繋げていました。)が多いので2重屋根のスハ32600形の可能性が大きいです。
ちなみに同車を丸屋根構造にした車両がスハ32800形で、昭和16年に一つの形式にまとめられてスハ32形となりました。(あながち間違った記述ではないのですが写真を撮った時期やリベットの多さから判断して指摘させて頂きました。)
昭和16年以前の鉄道省(国鉄)の客車の形式は5桁で表し2桁の形式に変わったのが昭和16年です。
ですから写真に写っている客車はスハ32形の617号車では無くスハ326000形の17号車とい事になります。

以上、ご本人に許可を得て記述を改めさせて頂きます。

尚、現在はこのスハ32系の車両はイベント用に1車両残っているのみのようですが、下がスハ32系の古い写真です。(ウィキペディア)



こちらは熱海新八景という絵葉書です。
ハガキそのものは2枚しか残っていませんでしたが、左書きの文字は戦前のものです。

更に《プロマイド》というカナ文字があると言う事は、戦時のカタカナや英語の規制が敷かれる前のようです。
更に昭和16年以降は、こうした港湾などの写真は極秘扱いになっていますので、やはり昭和15年以前の絵葉書と思われます。

また表面は《郵便はがき》と“が”になっていましたので、昭和8年以降になります。


こちらは《海色更に美しき錦浦兜岩の奇景》と書かれていますが、錦浦とは現在の熱海の錦ヶ浦の事です。

熱海ロープウェーが通っている一帯を錦ヶ浦公園と言い、断崖にはホテルニューアカオが建っています。
この兜岩は現在も同じような姿を見ることが出来るようです。


もう1枚は《風色美しき釣堀の全景》と書かれています。

写真向こう側が熱海の市街地のようですので、これも錦ヶ浦近辺のようで、現在後楽園ホテルが建っている近辺から撮ったようです。

目の前に海があるのに釣堀とはちょっと不思議ですが、観光客用に捕まえた魚でも放しているのでしょうか?
日よけの下で釣りをしている姿も見えますが、テントには《つり堀 海の家》と書かれています。

また海沿いの旅館郡も見えますが、当然ながら3階建て位の低い旅館が並んでいるのが見えます。


←BACK ・ NEXT→

昭和の出来事(昭和13年昭和14年昭和15年昭和16年

昭和からの贈りものTOPへ