7-22.近衛歩兵時代・同じ釜の飯 1   ・ 

ホームページをご覧になった方から驚きのご連絡を頂きました。
それによると、連絡を頂いた方のおじい様が、このホームページに掲載している写真と同じ写真を持っていらっしゃる事に気がつき、改めておじい様に聞いたところ、なんと伯父と同じ近衛歩兵第四連隊に所属していらっしゃったそうで、伯父の事を良くご存知との事でした。
その事に驚いてすぐに、『残念ながら伯父は他界しておりますが、一度お会いしたい…』旨連絡を差し上げ、そのおじい様にお会いすることが出来ました。
現在93歳の清水さんは、伯父と同じ近衛歩兵第四連隊大島隊に配属されていらっしゃったそうですが、清水さんから戦時中のアルバムを拝見しましたら、確かに伯父と同じ写真が何枚もありました。

射撃優勝中隊/清水さん所有

上がそのアルバムの中の1枚ですが、【昭和17年・射撃優勝中隊】に掲載の写真と同じ構図です。
そして下が伯父が持っていたネガですが、上のプリントとネガがあるという事は、これはカメラ好きな伯父が青山の近衛歩兵第4連隊に居た時も、時々カメラを持って同僚たちを映していた!という証のようです。


清水さんの構図が違いますが、これは伯父が清水さん本位にトリミングをして御渡ししたものと思われます。
清水さんに伺ったところ、
「平井さんに写真も撮ってもらったが、一番の思い出は兵舎内で御茶を点ててもらった事だよ!」
「平井さんが、兵舎に茶道具を持ってきてくれて、お茶を点ててもらったけど、青山の兵舎内で御茶を点ててもらったのは僕ぐらいだろう!」
と70年以上の思い出を語ってくれました。
そしてもうひとつのプリントとネガの同じ構図の写真が、前頁の兵舎内の写真です。

清水さんのアルバムの1枚/清水さん所蔵

伯父が残したネガの1枚

まさに同じカメラで撮った写真のようですが、写るのは清水さんご本人で、ベッドも清水さんのベッドだったそうです。
場所は青山の近衛歩兵第四連隊兵舎で、清水さんのベッドは一番奥の窓際の、全体が見渡せるいい場所にあったそうです。
窓からは遠くの樹木が見渡せる感じですが、これが現在の青山?という感じです。
また清水さんのアルバムには、四分一中隊第四班と書かれていますが、四分一中隊とはは伯父が軍隊に入隊した最初の中隊です。
7-4.昭和17年・近衛歩兵第四連隊】に掲載の葉書は、シ隊こと四分一中隊所属の伯父宛の葉書です。
その後伯父は大島中隊に配属となりますが、ここで清水さんと同じ中隊となったようです。
清水さんはこの兵舎の写真が撮影された頃は、四分一中隊に配属となり、伯父とは別の隊になったようですが、同じ大島隊の釜の飯を食べた仲間…というより同じ茶釜の御茶を楽しんだ仲間だったようです。
伯父が存命でしたら、更に話が弾み、写真を見ながらいつまでも話が尽きなかった事と、この時は本当に思いました。

【近衛歩兵時代・同じ釜の飯
2】へ続く…


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