4-35.昭和8年・外房 興津海水浴場 2   ・ 


興津海水浴場/昭和8年

今度は海からあがって砂浜での記念写真です。
伯父兄弟と、上野桜木のお友達のようですが、ワンピースの水着を着て頭には帽子を被り、カラフルっぽい浮き輪も見えます。
昔の浮き輪といえば、タイヤのチューブと思っていましたが、それは戦後のことであって、昭和初期はちゃんとした浮き輪があったのですね。

子供たちの後ろには、ちょっと変わった模様のビーチパラソルや三角屋根のテントが立っていますが、この形は当時の写真でよく見かけるタイプです。

また何かを立てるような木の土台も見えますが、何用でしょうか・・・?ちょっと不明です。


右上の写真も、水着や山の形からして同じ海水浴場のようですが、上の写真同様に影が短いようです。

ということは、丁度昼時なので、皆で昼ごはんを食べに向かっているのでしょうか?

海岸で遊ぶ人の人数もさほど多くはないので、夏休みの平日だったのでしょうか?

この頁の写真は、当初は何処の海岸なのか不明でしたが、山の形や砂浜の広さ、子供たちの服装に、そして空に点々と浮かぶ旗のようなものから、前頁と同じ興津海水浴場と判りました。

そして右上が現在の興津海水浴場の砂浜です。
山の形が少し変わり、高い建物が多くはなっているものの、山並みや砂浜の広さなど昔と同じようです。

右下も興津のようですが、大人から小さい子供もあわせて15人位で海に行っていたようです。



現在の興津海水浴場砂浜

下も同じ興津海水浴場のようですが、ワンピースの水着か褌か!と両極端です。
それにしても右の梯子段のようなものは何でしょう?
今までに見たことのないタイプですが、監視台なのでしょうか?
これもまったく不明な設備です。



写真の子供たちの後ろには茅葺の家も見えますし、瓦屋根の家屋も見えます。
そのうちの1軒は看板らしきものが見えますが、旅館か民宿でしょうか?
また《朝日マーク》の下には《氷》の文字らしきものも見えますが、こちらは民家の軒先を伸ばして《海の家》として営業しているのでしょうか?

右の写真の後ろにも、同じような《朝日マーク》が見えますが、形がちょっと異なりますので、別の《海の家》のようです。
きっとこの頃の《海の家》の定番の看板だったのでしょう!


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