4-36.昭和8年・外房 天津小湊誕生寺   ・ 


天津小湊誕生寺総門/昭和8年

上の写真上には古めかしい立派な門がみえますが、伯父に聞きましたら、
「ああ〜これは、小湊の鯛の浦にある【誕生寺】だと思うな〜」
との事で、調べてみましたら、確かに鴨川市天津小湊にある【誕生寺】の門のようでした。
とにかく毎回伯父の記憶の正確さには驚きます。

写真には今ではお目にかかれないようなボンネットバスが見えますが、ヘッドライトが飛び出て、バンパーも今のバスのものと比べるとどこと無く頼りない感じです。
更にタイヤはまん丸で、右側にとび出ているのは煙突でしょうか?

残念ながら何処行きのバスかは判読できませんが、ナンバープレートが驚くほどシンプルで、「千565」となっています。
調べましたら、昭和中ごろまでは、ナンバーには県名の頭の文字が表示されたようで、《千》は千葉の《千》で数字は三桁で十分だったようです。
左手奥には【○○乗りば】という看板も見えます。


この誕生寺は日蓮上人がこの地で誕生(1222年)した事を記念して建立された寺院で、日蓮宗の大本山です。
日蓮上人は十二歳頃までこの地で過ごしたと言われ、境内には日蓮上人にまつわるものが多くあり、日蓮上人が誕生した時に、俄に清水が湧き出し、産湯にしたと言われる井戸は、【誕生水井戸】として総門入ってすぐにあります。
この近くの【誕生堂】には日蓮上人の御幼像が安置され、年に一度だけ御開帳され、更に境内を進みますと、日蓮上人像も建っています。 


上の写真は、平成19年5月に、伯父と、五男である私の父と一緒に【誕生寺】に行った時に、古い写真と同じ場所で撮影したものです。

75年近い歳月に、総門の周りにはホテルや観光施設のビルが立ち並び、遠くの山々も見えなくなってしまいました。
門の両横の石碑は綺麗な新しいものに変わっており、瓦屋根も新しいものに修復されているようでしたが、それでも総門の形はかつての様子を残しており、右側の電柱や側溝の位置関係は昔と同じで、門の左にそびえる松の木が、その歳月を表していました。
また門の前のバス乗り場はタクシーの待合所になっていました。

丁度住職さんと思われる方がいらっしゃいましたので、古い写真を見て頂きながら、話を伺いましたが、この総門の写真には驚いていらっしゃいました。

古い写真にも総門を入って右手奥に平屋の建物が見えますが、現在は外観こそ綺麗になっていますが、昔と同様に、現在もお土産物屋さんとして営業しており、果物や鯛の浦土産の【鯛せんべい】等が売られていました。

尚、この時は天津小湊名物でもあり大正11年には天然記念物に指定された【鯛の浦】にも行ったそうです。
そして引越し時に捨て去れず、現在我が家にあるのが、この時に購入したという木刀です。
木刀には【鯛の浦遊覧記念】と彫られていますので、こうしたお土産やさんで購入したのかもしれませんね。


総門を入ると【仁王門】となりますが、今から三百年も前に建てられた門で、この中に掲げられた般若の面は、江戸の名彫刻家の左甚五郎作と伝えられています。

そして下の写真は日蓮上人像が安置されている【祖師堂】の前ですが、正面の屋根の上に見える【鬼瓦】は、大きさが畳21畳分との事で、世界一の屋根瓦としてギネスブックにも載っているそうです。


現在の祖師堂/平成19年5月撮影

次の写真に写っているのは、伯父達兄弟と、日傘を差した祖母と女中さんで、後ろは伯父達が泊まっていた民家と思って、伯父に確認してもらったところ、

「この女中さんは《よしやさん》と言って、確か栗橋の石屋の娘さんだった・・・」
「女中さんといっても家族といつも一緒だったから家族同然だったような感じだったな〜。」

と女中さんの名前も思い出してくれましたが、 この1ヶ月間の外房の滞在は、家族と共に女中さんも一緒のようでした。
そして

「これは民家ではなく誕生寺の境内ではないかな〜。」
「第一当時の民家で、こんなに長い縁側の家などない筈だし、庭にこんな立派な蘇鉄はないはずだよ!」

確かに民家にしては立派過ぎますし、よく見ますと、前述の総門の写真と同じ服装ですので、『とすると誕生寺の境内?』と思い、誕生寺の住職さんにも伺いました。
が、残念ながら、この写真が撮られた後の産まれということで、この古い建物には記憶がないとの事でした。


誕生寺境内蘇鉄前/昭和8年

住職さんと別れた後辺りを見回しますと、確かに境内には立派な蘇鉄が多くありましたが、その中でも古い写真と同様の姿をしたものがありました。
広い縁側の建物は今はなく、代わりに【宝物館】が建っていますが、蘇鉄の枝振りといい、その下の石組みや、支え等、古い写真ととても似ています。
としますと、やはり伯父達はここで写真を撮ったのかもしれませんね。
伯父の家は代々信仰が深く、神社や社寺にはよく行っていたようですので、外房の名だたる誕生寺にも皆で行ったのでしょうね。


平成19年の誕生寺境内蘇鉄前

上の写真はその【誕生寺】境内の蘇鉄の前での写真です。
この他にも御宿や勝浦にも行ってきましたが、伯父も父もとても懐かしそうにさまざまな事を思い出し、そして色々な事を話してくれました。

兄弟で房総に旅行に出かけたのは75年振りでしたが、実はこの1年後には五男の私の父は他界しましたので、この旅行が伯父と父の兄弟最期の旅行となりました。
が、こうして一緒に古い場所を訪ねる事が出来、とてもよい思い出となりました。


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