7-20.昭和17年・日の丸寄せ書き   ・ 




平成15年に上野桜木の居宅を引き払う際に、家財道具等を処分し、一部を段ボールにいれて倉庫に保管していましたが、先日改めて荷物の整理をしていた所、引越し以来空けていない箱があり、中をみたら白地に赤と墨書きと思われるものが出てきました。
改めて広げてみたら、日の丸にたくさんの方々の寄せ書きが書かれていました。
右側には【横濱正金銀行 調査部 祝 入営 平井寛君】と書かれており、日の丸の周りにはたくさんの人の名が書かれています。
軍隊に入隊する際日の丸に寄せ書きをし、その本人を軍隊に送ったと言う事はよく聞きますが、その実物の日の丸です。
テレビや資料館などでは見た事がありましたが、同じようなものを伯父も持っていたようです。
横浜正金銀行に入社したのは昭和17年1月で、軍隊に入隊したのが翌2月ですので、この日の丸は昭和17年1月に書かれたようです。
全部で160名程の名前が見えますが、今まで伯父から聞いてきた友人や知人の名前は見当たりませんので、これは横濱正金銀行の方々の名前のようです。
そう思って当時の横浜正金銀行行員録を調べてみたら、伯父が在籍していた日本橋支店の頭取席調査部の方々の名前を始め、他の部署の方々の名が書かれていると判りました。


行員録によると、調査部の文字の左に太宰正伍という名がありますが、この方は調査部部長で、更に左隣の中村豊秋の名は、同じく調査部次長の方のようです。
日の丸の下の岸駿という方も次長で、それ以外は部長代理や書記の面々の名のようです。
戦時中、戦地ではは兵隊さんがお腹に巻いて戦死し、それを米兵が回収し、後に遺族に返却した旨の話を聞いたことがありますが、伯父は最終的にスマトラで終戦を迎え、そのままこの日の丸を日本に持ち帰り、今回数十年ぶりに日の目を見たということになりました。
この寄せ書きが書かれた1ヶ月前の昭和16年12月に太平洋戦争が始ったばかりです。
皆さんこの時はどのような思いでこの寄せ書きを書かれたのかは、今や判らない事です・・・。


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